親愛なる、Oさんへ

春分を前にとてもあたたかい日差しがやってきました

そして春分はお彼岸です

此岸にいきるものが

彼岸の世界に近づくとき

 

 

どうしても伝えたいけれど

どうやって伝わるのかわからないこのメッセージを

方舟にのせてながします

 

 

どうかいつかそこに届きますように

 

 

そして返事をまっています

絨毯を派遣します

 

 

 

 

 

*******************************************

 

親愛なる、Oさんへ

 

年末にお会いして以来ですから

少々お久しぶりです

どうされていますか

彼岸に入りましてもう随分春です

ランチの約束をしていた季節はもうそこまでやってきています

 

 

わたしは変わらずのような変わったような

でも毎日を興味ふかく暮らしています

 

 

シュタイナーのクラスでは『神智学』と『ミカエルと龍』の並行した講義がおもしろい感じで進んでいます

高橋先生は相変わらず素晴らしいです

そしてなんだか不思議なことに

何を書いてあるのかが結構わかるのです!!!

 

ちょうど3年前

ちんぷんかんぷん

でもわくわくで

あのクラスに足を踏み入れたときが懐かしいです

 

 

そして哲学サロンに足を踏み入れて2年

 

これまたさーーーーっぱり何がなんだかわからないところから

今ほのかな明るさを見出したように

自分ではおもっています

 

 

それもこれもOさんあってのこと

 

 

帰りの電車の18分でそれこそ怒涛の質問コーナーでしたね

Oさんは知りたい事を全て知ってるまさかの人物!笑

引き寄せのことやキューブラーロスさんのこと

ラムダスさんのことドラッカーのことシュタイナーはもちろん

これからやりたいこと

思いついたこと

ビジネスのことや生き方のこと

 

 

 

でも今ほど話したいときはありません

 

 

なぜならばどうしても聞きたい事があるからです!!

すごい不躾な質問いきます

こんなことOさんにしか聞けませんよ

 

 

ずっと送ってくれていた『死のレッスン』で

 

キューブラーロスさんやエベンさんやラムダスさんのことをああして読み解いてくれていたでしょう

知識としてOさんほどお持ちの人はなかなかいないとおもうのです

 

 

 

 

そしてそのとき

 

何をおもいましたか?

何をみましたか?

何を聞きましたか?

どういうものでしたか?

どんな感触でしたか?

本当に時空を超えましたか?

 

 

そして今どこにいますか?

 

 

どうしても話したいです

おしえてほしいです

 

わたしはそれを知ることが必要です

 

『死』を超えることで

全てがかわるでしょう

人は持って生まれた全ての可能性を取り戻して生きることができるようになります

わたしはどうしてもそれをやりたい

 

そういつか話したでしょう

 

 

どんなかたちでもタイミングでもいいです

 

 

わたしがそれとわかるように教えてください

 

 

教えてもらったこと

必ずいかします

 

 

Oさんが

やるはずだったこと

できなかったこと

考えていたたくさんのこと

 

その欠片の種はわたしの中にいきています

確実にしっかりと

 

 

やろうとしていたかたちとは違うけれど

でも出来る限りのことをします

なぜならそれがわたしの魂の望みだから

カラから出た雛鳥がどんな鳥になるのか

みていてください

 

 

会えた不思議を

なんの知識もなかったわたしに

こうしてたくさんのきっかけを与えてくれたことを

いくつもの偶然が重なり合って

いまここで

お手紙をかいていることを

 

 

本音をいえば

福音だっていっても

やはりさみしい

どれだけ教えてもらった知識を動員してもさみしい

 

 

たくさんの失礼をどうかお許しください

 

 

またいつかお会いしますね

そのとき限りない時間を話したいです

 

それまで

 

 

 

20170318

 

 

 

 

月と太陽

春がもうすぐそこの今日この頃

 

春分がもうすこしでやってきます

そしてそのあとの新月

恒例になってきました今年の魔法ハーブの庭の種まきです!!

今年は種の仕入れ先をかえてみたので

どんな具合になるかとてもたのしみです

今年こそニガヨモギを生やしたいのと

ホワイトセージのしげみをつくりたいと思っています

 

 

そして

種からそだてあげ

こつこつ地植えしてきた苗たちが

冬を乗り越え

しっかり大地に根を張り

新芽をだしてきている姿をみるのは

静かに嬉しいことですね

 

ゆっくりじっくり魔法の庭を育てる

こうして焦らないで時間をかけることっていいなあって思う毎日です

 

 

 

 

そんななか

わたしにとって大変衝撃なことがあったのです

 

 

わたしね

ずっと自分が『月』だって思っていきてきたのですよ

それと『水』

状況によってかたちをかえ

なにかをうつし

だれかを癒すもの

 

夜の澄んだみずうみに月がうつる

 

みたいなイメージをもちながらいきてきたのです

結構幼い頃から

 

 

しかーーーーーし!

今毎月開催している魔女会第2回において

 

 

 

まさかの

 

 

 

あなた『太陽』だよ

という指摘をいただきまして

 

唖然呆然

 

 

 

会うのは2回目なのに

ずっと知ってるみーちゃんが

 

 

太陽だよ?自家発電タイプだよ?

そのキラキラした溢れるエネルギーでまわりのひとが(勝手に)癒されるんだよ?

 

って

 

 

感情をストレートにおもてにださないままでよく素直にいきてこれたねっていってくれました

感情を感じたままにだしていいんだよって

本当ははげしい人だよ?って

今までずっと感情をだしたら嫌われていじめられるって思い込んでいたみたいで

出てきた感情を観察して薄めてそとに出していたみたいで

 

 

でもね

ほっとしたのです

なんだか

『自家発電』に

 

 

しかも太陽って事は

核融合ではないですか!!!!!

 

融合を学ぶためにここにきたって言われた事があったけど

 

自分のなかですでに融合起してるんじゃん!笑

 

 

 

 

 

 

少し前に心が言いました

 

でてくるそのきらきらを外にむけて放射するのではなくて

内にむけていなさい

そのほうがうまくいくからって

 

 

今このときに辿り着いている感覚は

 

 

自家発電で出てきたキラキラしたフリーエネルギーは

だれかや何かに向けてだすものではなくて

自分のなかで勝手に内側で感じていたらよいと

 

 

だって太陽はだれに見せようとするわけでなく主張するわけでもなく内側で融合をおこしてそこから漏れ出している光で

いつもキラキラ輝いていて

 

ここにいる生きとし生けるものたちは

そのキラキラを(勝手に)あびていきている幸せにいる

 

 

 

外がどうあろうと

カラー革命だろうとカオスだろうと断末魔の叫びだろうとモラハラの嵐だろうと

 

 

 

内面をキラキラしているのです勝手に

 

 

 

っておもったら

世界がちがってみえてきました

そのみえるものを

夢ではなく現実にするために

魔法の絨毯にのるのです

 

 

 

 

さっきふと気になってシュタイナーの「いかにして超感覚世界の認識を獲得するか」を

ぱっとひらく読書をしたのですが

 

そこに書いてありました

 

『怒ったり、不機嫌になったりするときの私は魂の周囲に壁を巡らし、霊眼を育てる力が私の中に入ってこられないようにしている』

(p114)

 

 

 

怒ったり不機嫌になるときって

本来の自分の姿をみうしなっているときに

とてもよく起ることだとおもうのです

 

 

 

 

 

本来の自分を生きられていないときには

魂の周囲に壁を巡らせてる

 

 

といえるのではないでしょうか

 

 

本来の自分のみつけかたが

あるのです

少し前にみつけました

自分をみつけたときそれはそれは嬉しくて幸せでした

 

 

そして今回の太陽だっていう発見

 

 

いまは表にはみえないかもしれない

けれどとても大きな変化

 

 

夢を現実に

調和のなかで

 

 

 

 

 

 

 

共有して現実にするために

とても久しぶりにあけた方舟

 

タイトルの箱船を『方舟』にかえてみました

 

わーい♡

 

ひとりでみる体験は夢

 

でもそれを誰かと何かと共有することで現実となる

結びつくこと

 

生きてここに居ることを実感するためにね

 

太陽として内面での核融合を実感するためにね

 

感情を感じるためにね

 

書こうときめた!

デミアン

大変ご無沙汰になっておるこちら

アウトプットしたいってびっくりするくらい思えなかったのです

ハイ。。。

 

 

最近あったあんなこともこんなこともいろいろですが

先日読み終わったヘルマンヘッセの『デミアン』についてです

 

 

デミアン (新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)

 

 

なぜこの本を読んだかというとですね

シュタイナークラスの高橋先生がこの本をとても大切にしていて

最近何度もこの本についてのお話があったからで

 

 

先生がこの本に出会ったのは戦時中12歳のとき

特攻に行ったいとこのかたみとしてもらったそうです

先生はこの本をポケットにいれて何度も何度も読み返したそうです

 

そう聞いては読まないわけにはいかないのです

 

古典系、物語系を最近避けていたのもあったので

ここは良い機会として手に取りました

 

 

やはり必然なのだなと

 

 

哲学サロンでも

 

たまごの中のヒナが孵るとき

ヒナはたまごの内側からこつこつと殻をたたく

それに呼応して親鳥も外側からこつこつと殻をたたく

そして殻を割ってヒナどりは外の世界に出てくるのだ

 

転じて

その人に何かのタイミングが来たときには外側からも援助がやってくる

 

 

っていうお話を何度もされていましたが

その元ネタはこの物語だそうです。



あらすじは

シンクレールという額にカインの印を持った少年が迷いながらも成長していくお話しで

同じ印を持った一種独特な年上のデミアンという導き手と

真の自己を求める物語です


生まれるための不安や迷い悩みの中から

真理をみつける事で殻を破り

楽園でのひと時をすごし

巣立ちを迎える



みつけた真理はとても心を温めました


190ページより



各人にそれぞれ一つの役目が存在するが、だれにとっても、自分で選んだり書き改めたり任意に管理してよいような役目は存在しない、ということを悟ったのだった。


〜中略〜 


目覚めた人間にとっては、自分自身をさがし、自己の腹を固め、どこに達しようと意に介せず、自己の道を探って進む、という一事以外にぜんぜんなんらの義務も存しなかった。



各人にとっての本当の天職は

自分自身に達するというただ一事あるのみだった

肝心なのは、任意な運命ではなくて、自己を見いだし、それを完全にくじけずに生き抜くことだった。


以上引用


シンクレールは辿り着きました



 そしてこれは少し前にわたしの中身が教えてくれたことと同じニュアンスのことでした



中身はこういいました


あなたがあなたを生きることだ


空にちからづよく伸びていくジャックの豆の木みたいなイメージのものだ


全ての出来事は可能性で何が起きてもいい


でもそれは豆の木に沿うツタのようなもの

望むことが叶うことは些細なこと



あなたはどこに辿り着いてもよいのだから


それが自分自身を生きるということ



この二つのメッセージがわたしからチカラを抜きました

受け身であることや運命に身をまかせるとはちょっと違う

だけど

ゆっくり静かに仄かに暗いところを

深淵にむけて落ちてゆくみたいなことを感じています



仄かにあたたかい安心で幸せな気持ちでいます



続けて

アマゾンさんがセット売りしてきた

ヘッセの『シッダールタ』を読んでいます


なかなかすごい素晴らしいところです



早く春こーい










 

 

 

惑星と元素とトラウマの発見の兆し

以前半田広宣さんの講演を聞いた時だったと思うけれど

 

新しい惑星や元素の発見は

人の意識の拡大が起きたことを表す

 

表現はうる覚えなのですがそんなニュアンスのお話をききまして

へええええ

って思ったのですが!!!

 

 

発見の兆しですね

 

新しい元素も惑星も

 

 

 

2016年ってすごい

 

(´-`).。oO(ニビルかなあ)

 

 

 

土星より外側は

人の無意識の領域ということなので

今度の発見されたかもしれない惑星は

ずっとずっと遠くを旅する惑星だから

ひとの無意識の領域は

ぐっと広がるということなのでしょう

 

 

 

なんにしてもいまここはカオスとおもうのです

このカオスのなかから何がうまれるのか

 

 

 

悪の沼から可憐な睡蓮は咲くのか否か

 

 

 

 

 

この前『象気功』さんのこちらの記事を読んでいて

神さまには正も邪もないと

一人一人の人間は絶対の孤独な存在なのであると

 

なかなかのインパクトのある記事で

でもものすごくしっくりきたのです

 

 

最初が最後で最後が最初で過去が未来で未来が過去である

 

 

 

 

わたしの世界にはわたししかいなくって

出会う全ての人はパラレルの世界に存在していて

交わったり離れたりしているわけで

だからわたしが誰かのパラレルな世界を救えるはずもなく

誰かがわたしの世界を救えるはずもなく

わたしの世界を救えるのはわたししかいなくって

誰かの世界を救えるのはその誰かしかいなくって

それができて初めて誰かは誰かの世界をもしかしたら救うことができるかもしれないできないかもしれない

 

そしてこうして存在している以上は

自分がよいと思う生き方でこの世界を全うしていくしかないわけで

どれがどんな方法なのかはそれぞれ違って

でもこのパラレルワールドの中で交わった他の世界にたいしてできることといえば

それは自分の世界を全力で生き切ることで

それがもしかしたらそれが何かの助けとなりうるかもしれなくて

でも役にたっているかどうかを判断できるのは自分ではない

自分はただ淡々と自分の世界を作り生きることしかできない

その中で無条件に誰かを認め受け入れることで

自分の世界がひろがりそして誰かの助けになるのかもしれない

でも大切なのは自分をいきること

それが繰り返され

螺旋状態となって上昇していくのだろうきっと

最初が最後で最後が最初だ

 

 

 

 

世界のためにトラウマがある

とも言える気がしています

その障害があるから気づくことができることがあるように思います

ずっとうっすら感じていたこの障害とついに決めて向き合うことにして行動することで

新しい扉と出会うことができるかもしれないこと

それも自分の世界のためにできること

 

 

 

ずっと迷っていたこの本をついに読んでおります

 

 

 

作者の大嶋さんというかたの文章がすきなのです

ブログも毎回とても素晴らしいです

とても優しくて希望をもつことができる文章なのです

今半分くらい読んだのだけれど素晴らしいご本だと思っています

これを読んで方法を手に入れてわたしがどうなるかがとても楽しみです

 

 

凪のある毎日をおくってみたいです

 

 

向き合う準備ができたから

読むことができているのです

理解することができる

 

 

今回もその必然をひしひしと感じています

 

 

 

 

神さまは確かに不条理でびっくりするような恐ろしいことを起こす

悪も起こすが善も起こす

なぜならば

神様には善悪という基準はないから

究極的には善も悪も一緒だから

ただそれを起こす

 

それを善だ悪だと判断するのは受け入れるこちらで

その行為自体に善悪はない

 

 

全ては受け入れる側の問題であるというのは

人と人との関係がそうである以上

人と神ともそうであるのです

 

 

 

上の如く下も然り

 

 

 

ただ行為のみが存在する

 

 

 

 

 

わたしの世界

いや

わたしの宇宙で

今こうして惑星が発見された兆しがあります

それは蝶に変容したという

意識の拡大が起きたという

証の一つであると思います

 

 

 

 

 

あなたの宇宙でのその兆しはどんなかたちですか

 

 

 

 

 

さて

これからシュタイナーの講義です

この時間が何よりのご褒美☆

 

 

 

 

姿勢を改めて読書に励む

もうすぐ今年最初の新月が起こります

枕の位置を天窓の下に動かしてから

星や月が今まで以上に生活に彩りを添えてくれる様になりました

 

 

太陽系の惑星たちが

こんなに明るく夜空にいるって今まで知らなかった

 

 

 

今は毎日夜中明け方に目をさますと

決まって明るく輝く木星がこっちをみています

 

本当に明るくて透明な光です

 

この光をサードアイで捉えることを最近の楽しみとしています

 

月も太陽の光もサードアイで捉えてみるのです

 

何の役にたつのかはわからないのだけれど

それをすることが大事ということなので

 

この経過観察は今後また!

 

 



そんな中今日は今年最初の横浜のシュタイナーのクラスでした

 

毎回ハッとしつづけているので今日もまたいつものとおりなのですが

でもちょっとしたもやっとすることが解決できた感があるのでここに記します

 

 

 

今日は『オカルト的な読み方と聴き方』という新しいテキストに入る前に年末から残っていた『パウロの書簡』という新約聖書の感想文の会をしていました

 

最後に先生の感想としてパウロと今読んでいるバガヴァット=ギーターを合わせたお話がありました

 

読み途中な上にちょっとわからなくなっていたので

渡りに船といったかんじでした

 

もはや答えと言ってしまっても過言ではないことを教わってしまったので書いてしまいますが

 

 

この世とは無常の世界

あの世とは不滅の世界

 

クリシュナはアルジュナ

この世でいくら苦しんでも得をつんだとしても全ては仮の世界の出来事である

問題はその仮の世界で悪戦苦闘している中で不滅の世界であるあの世との縁が出来ること

それにいつか出会ってくれることを待っている

 

 

 

尊敬する親族を殺したくないというアルジュナ

『殺す』という結果ではなく

本来するべく戦うという行為にのみ意味があるというクリシュナ

 

 

 

ついつい自分の持っている常識を裁判官にして

自分の方が高いところに立ってこの本を判断しちゃっていたのです

 

でもそういう読み方はこのような霊的なことを扱うものを読むときの姿勢としては意味がないとシュタイナーは言います

 

 

 

オカルト的な読み方と聴き方から抜粋します

 

 

 

知的な教育を受けた現代人は書物の内容を評価する上で

自分以上に優れた判定者はいないと思っています

あらかじめそう思い込んでいるとしたらその人は書物の立場に従って新しい別の評価の仕方を学ぼうとするでしょうか

自分は優れていると思っている以上自分の立場を変える気なぞ初めからありません

ですから書物の新しい意図や方向が感じ取れません

 

真の霊学書を通して世界に対する別の感じ方

別の評価の仕方を持つ様になることが

霊学を学ぶための根幹神経になります

 



 

判断せずにただその書物との縁をつくること

それをしてはじめて

書いてある内容について

わかるわからないということが出てくる

 

そうシュタイナーは言います

 

 

確かにそうだなと思ったのです

 

ギーターを読むときの姿勢に謙虚さがなかったなと

そして最近の読書が楽しくなくなっている原因もここにあるのではと思いました

 

ずっとフィクションしか読んでこなかったのですが

最近はそうではないものばかり読んでいます

でも自分の判断基準でしか関わっていないので

本をよむことがおもしろいって思えなくなっていたのだと

 

 

 

 

ということで

姿勢をあたらめ

バガヴァット=ギーターとの縁をつくっていきたいと思います

 

 

 

ギーターを理解できるときがやってきた時

ギーターに出会う

 

 

 

ということのようです

 

 



 

今究極の利己主義が世界を変えるって考えています

でもどうしてもそれがうまく書けない

 

書いている途中から

自分がわからなくなってしまうのです

 

でも

わたしが思うそれは確実に万人にはあてはまらないこと

 

っていうかもしかしたら

わたし以外だれにもあてはまらないことかもしれない

 

でも

今のわたしはそうであると考えています

 

ずっと美徳とされていたように自己を滅して他人のために何かをしてもこの先には行けない


全ての答えは自分の中にあるから


だから徹底的に利己主義であることが必要に思うのです



自分が自分のためにすること

自分に正直になること

自分に光をあてること

深淵を目指すこと

それでしかこの壁は破れない



でももしかしたら壁を超えることが究極的に誰かのためになるかもしれない

わからない

何故なら結果ではなく行為だけが大事だから

 

 

いつか腑に落ちた時

このことはまた

 

 


 

深淵はこのテキストにも出てきています

 

なんとまあ!!!


 

 

『内面への旅』 のテキストは

読み返せばそこにいつも求めるものがあります

これを理解できる時が来た

だから高橋先生に会えたのだなと思います



 

ありのままに受け取ります




 

 

 

深淵

暖かい冬です

この穏やかさが怖くもあるのですが
これは多分大切な必要なことなのでしょう
 
 
そんな中で今最もアツい
 
 
「深淵」についてです
 
 
最近のテーマであります
 
 
 
だから昨日ひとさんからこの言葉がいきなり出てきたとき本当に驚きました
何故わかるのか
さすがや
 
 
 
なので一度考えてみたいとおもいます
 
 
 
言われたこととは
 
 
 
深淵を覗こうとする者は
深淵からも覗かれる
 
 
 
これは調べたところ
ニーチェの言葉で
 
 
 
 
『怪物と戦う者は、自分も怪物にならないよう注意せよ。
長く深い深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む。』
(「善悪の彼岸」ニーチェ箴言と間奏146」)
 
 
この前高橋先生と佐藤優さんは
最も深い深淵にこそ神は宿る
 
それは
人間の底辺のそのまた底辺
一番神から繋がらなそうなところに神は降りてくる
ということだと
 
地獄の底に導かれてゆく
そこからしか神秘の扉はひらかない
絶望からしかうまれない
 
 
と話しました
 
 
ひとさんは
深淵に魅入られるなといいます
 
 
 
王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた
 
そして
 
命は闇の中にまたたく光だ
 
 
 
 
てゆうか深淵とは何かなあ
 
 
 
深淵(しんえん)とは、深い淵や水の深く淀んだ場所を指す語。フレッド・ゲティングズ著『悪魔の辞典』によると、悪魔学においては「進化の終着点」を意味し、すなわち人間の行き着く最後の未来を意味する。これから連想が進み、ヨハネの黙示録アバドンといったイメージになった。カバラの学者は深淵をマサク・マヴディルと表現し、落伍者の行き着く場所と解釈している。wikiより
 
 
 
ひとさんは多分
死のその先みたいなイメージとしていっているのだろうなと思うのです
 
 
それに魅入られそれを求めることは
生きることを放棄することに繋がると
 
 
 
 
確かにそれもそうともおもうのです
 
 
 
 
なんとなくわたしはこう考えているようです
 
 
 
 
深淵とは
 
善悪も虚無も生死も幸福も愛も喜びも絶望も恐怖も
 
そういうものを全てごた混ぜにしたカオスの
 
その最も底のことなのではないかと
 
 
 
それはある意味では自我というものを持ってしまった人間の
意識の一番底のことなのでは
 
 
 
 
深淵を覗くことで向こうから覗き返してくるものとは
本来の自己
またの言い方だと第二の自己
なのではないでしょうか
 
魅入られるものも魅入るものも自分なのではないか
だから全ては自分の中にあるのではないのかなと
 
 
 
 
 
そこに差し込む光は神であり
 
神は命の煌めきであり
 
叡智の光だと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今なんとなくこの気候とリンクするかの如くわたしが穏やかなのです
 
 
 
それは善悪という二元の罠のことがわかったようなきがすることと
 
ありのままの自分自身を信じることが出来るようになったきがすること
 
それが大きいような気がします
 
 
 
どんなに流れがはやくなろうとも
それが滅びを伴う変容であろうとも
そのために全てを失うことが起ころうとも
 
それを受け入れること
その過程にこそ意味があるということ
 
 
そして
 
その道の途中ではあくまでも中庸を手放さないということを
 
全ては自分の中にあるということを
 
 
 
 
 
 
しかし何故わたしはこんな迷宮みたいなところに入り込んでしまったのだろうか