邪の道から

春うららのおだやかな1日でした

陽の光があたたかいというのは

なんとも素敵なことですね♪

 

 

ホーリーバジルとレモンバジルの種を自家採種した分をきれいにして

ホワイトセージの種も冷蔵庫に入れてスタンバイしているし

セージも接ぎ木しているし

花壇の材料もそろっているし

物置温室化の手配も済み

来週の新月種まきの準備も順調にあらから終わりまして

今年はさらに魔法ハーブの庭の充実をはかるのです!!!

 

 

一年中で最大のイベントといっても過言ではなくなっている種まき♪

 

しかも今回はおひつじ座の新月ですからね!

 

気合いが入ります!!!

 

 

ウチの仲間たちは

それらのハーブはじめ植物たち

モモンガ

そして金魚が2匹

名前は『月』と『いちご』

あだ名は『満月』と『あまおう』

。。。。

はい

ふっくらしているのですね 笑

 

 

先日引越しのタイミングで

テネモス研究所のマナウォーターをとりつけまして

毎日美味しいお水が水道の蛇口をひねると勢い良く出てくるという

それは大変幸せな毎日です

 

 

水道水が湧き水のようになる

ということなので

金魚たちの水にもマナウォーターを置き水して使っていました

 

でも先日水換えをするのに

ちょっと時間がなかったから汲みたての水を使ってしまったのです

新しいバケツの水の中に2匹を入れてちょっと目を離したら

なんとかわいい月ちゃんがよじれて動かなくなっていました

 

 

ものすごいびっくりしつつも

カルキ抜きの薬品を投入して

でもダメで

以前どこかで見た

古い水を入れると生き返るっていうのを勢い良く思い出し

金魚鉢の底にのこった濁った水を数滴そして入れていた水草を投げ込んだら

無事に月ちゃんが復活しました!!!!

 

 

その展開の速さと綺麗な水がもたらした惨事に驚きつつ

びっくりすると不思議な冷静さを発揮するので

その後フツーに金魚鉢を洗って2匹を戻して

今は元気にひらひらしています

 

 

 

 

仏教で蓮の花を神聖なものとしているのは

泥(煩悩)の中から美しい蓮の花(悟り)が花開くという意味があるからだったとおもうのだけれど

 

 

 

風の谷のナウシカの原作漫画では

最後7巻で

汚染された土地が腐海によって清浄になったあと

そこでは汚染されたこの人間は生きる事ができないので

清浄な土地で生きるためのおとなしい人間のたまごが用意されていました

それをナウシカがオーマとともに破壊するのだけれど

 

 

この

聖、善、正

みたいなものと

悪、邪、汚

みたいなものが

すべてそのままどっちが良くってどっちが悪いという

二元論では

はかれないことなのだと

 

なぜなら生きるということは

聖も邪も併せ持っているものだから

 

 

自分は悪だなと思うのです

その悪っぷりに自分で驚いたりします

なぜこうなるのかこんなことができるのか

その悪を平静と行動にだしてること

 

 

でも人間には驚くほどの叡智や尊さがつまっている

 

 

 

この深い泥の中に全て知っていて全て持っているその叡智を

いつか咲かせることができるのだろうか

 

 

咲かせたいと思ういつか

 

 

書いていてわかってきたなあとおもうことがあります

 

最近自分の本当に望むことがわからないっておもっていたのだけれど

 

 

わたしはこの悪の中から叡智の花を咲かせたい

 

 

なんとなくそんなようなことを望んでいるみたい

 

 

邪にも大切な役割があること

悪にまみれたこの世界から

この続きを考えてみたいとおもいます

 

 

 

 

追記

 

ここ2日眠るのが早すぎて

明け方ぱっちり目覚めると

空には細くなった月

 

そして遊ぼうと駆け寄ってくるモモンガ 笑

 

 

明け方の静かな月は

それは美しいものですね

 

 

それを見てモモンガをなでてまたふんわり少し眠るのは

悪ながらも小さいけれど確かな幸せです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと思ったことがだいたい全てかもね

好きなのみものは

シャンパン、ビール、レモンサワーです

このシュワっと三大巨塔に

最近サングリアが加わりました

甘夏とスパイスでサングリア用のシロップをつくって

そこに赤ワインをざくざくいれてのみます

最後にグラスの底に残った赤く染まったみかんの果肉がまたうまし!!!

 

 

 

 

平和ですねこの感じ

 

こういうちいさいけれど確かな幸せ

春樹的にいうと『小確幸

 

こういうの全てかもですね

 

 

 

 

 

 

仕事帰りのバスの中でふと思ったことがありました

 

*

わたしが生きてることに関して

他人からの評価や感想が欲しいんじゃあないなあ

 

自分が何をしたかを

わたしが納得できるかどうか

だけだな

*

 

ずっと

(人からの)評価がいい=(わたしの)収入がいい=(わたしの)存在価値がある

 

みたいに思うところにいて

人からの評価が自分のアイデンティティの基礎みたいになっていて

誰かがいいっていってくれるからこれはいいもの

自己満足は所詮アマチュア

食べていかれないものづくりはくだらないもの

評価されてるものをつくれているから価値のあるわたし

 

 

っていう

思い込み!のもと元気に暮らしてきてまして

 

 

でもしかし

そういう世界からドロップアウトして

今それを思い出すと

 

 

がんばったしよくやったわたしって思うんです

(自己満足?笑)

やってよかったしやめれてよかった

 

 

 

なぜそうおもえたかというと

 

その中で毎回

売れるか売れないかを考えない(考えられない)一瞬っていうのがあって

心底ものづくりに没頭して自分をしぼりあげて製作して

あとから上がってきた商品をみて

「はて?なぜわたしはこんなかわいいものをつくることが出来たのだろう!!!自分がつくったとは思えないぞ!!」

って思う瞬間があって

 

 

誰かが褒めてくれたから

とか

誰かが要らないこれは

とか

言ったからではなかった

そういうおもいを確かに積み上げてきたから続けてこれたのだと

 

 

  

でもね

やっている最中はその『やったーっ!!!』ていう思いに重心をおくことができなかった

人からの評価に目がいき

ずっと不安で恐怖の中にいたのです

追いかけられるように

休んではいけない

考えてはいけない

負けてはいけない

 

 

追い込んでいたのは自分ですね

 

 

 

 

今だからやっと

やってよかったしやめられてよかったって思うのです

 

 

 

これからは

その時その時で

『自分』が納得できるかどうか

っていう基準で見ることができると

それに基づいて次を考えていけると

生きることって随分たのしくなるんじゃあないかな

っておもいました

 

 

 

最後に後悔したくないから

ではない

 

 

今を全力で生きてる

 

 

でもついふわふわしてしまう

自分の中からすっと抜け出てしまうような感覚で

いろんなことを他人事みたいに感じることがある

 

 

 

大切なのは

自分の芯にいて

ここと自分とあちらとを

しっかり繋いでいる感覚ですね

 

 

 

 

そして最後にでてきたこと

 

 

人からの評価をあてにすることって

もしかしたら

人を大切にできていないことなのかもしれないね

 

だって

いい評価してくれる人は大切で

そうじゃない人はそうじゃあなくなるから

ただの都合のいい道具としてみているのでは?

*

 

 

 

自分に納得ができてはじめて

この人好き嫌いていう主観ではなくて

全ての人をフラットに大切に尊敬できるようになるのかもしれませんね

 

 

 

 

だいたい全てですね

 うん

 

 

 

 

 

今年の春分点は夕方の7時半くらいみたいです

 

明日の夕日とあさっての朝日をみにいこう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親愛なる、Oさんへ

春分を前にとてもあたたかい日差しがやってきました

そして春分はお彼岸です

此岸にいきるものが

彼岸の世界に近づくとき

 

 

どうしても伝えたいけれど

どうやって伝わるのかわからないこのメッセージを

方舟にのせてながします

 

 

どうかいつかそこに届きますように

 

 

そして返事をまっています

絨毯を派遣します

 

 

 

 

 

*******************************************

 

親愛なる、Oさんへ

 

年末にお会いして以来ですから

少々お久しぶりです

どうされていますか

彼岸に入りましてもう随分春です

ランチの約束をしていた季節はもうそこまでやってきています

 

 

わたしは変わらずのような変わったような

でも毎日を興味ふかく暮らしています

 

 

シュタイナーのクラスでは『神智学』と『ミカエルと龍』の並行した講義がおもしろい感じで進んでいます

高橋先生は相変わらず素晴らしいです

そしてなんだか不思議なことに

何を書いてあるのかが結構わかるのです!!!

 

ちょうど3年前

ちんぷんかんぷん

でもわくわくで

あのクラスに足を踏み入れたときが懐かしいです

 

 

そして哲学サロンに足を踏み入れて2年

 

これまたさーーーーっぱり何がなんだかわからないところから

今ほのかな明るさを見出したように

自分ではおもっています

 

 

それもこれもOさんあってのこと

 

 

帰りの電車の18分でそれこそ怒涛の質問コーナーでしたね

Oさんは知りたい事を全て知ってるまさかの人物!笑

引き寄せのことやキューブラーロスさんのこと

ラムダスさんのことドラッカーのことシュタイナーはもちろん

これからやりたいこと

思いついたこと

ビジネスのことや生き方のこと

 

 

 

でも今ほど話したいときはありません

 

 

なぜならばどうしても聞きたい事があるからです!!

すごい不躾な質問いきます

こんなことOさんにしか聞けませんよ

 

 

ずっと送ってくれていた『死のレッスン』で

 

キューブラーロスさんやエベンさんやラムダスさんのことをああして読み解いてくれていたでしょう

知識としてOさんほどお持ちの人はなかなかいないとおもうのです

 

 

 

 

そしてそのとき

 

何をおもいましたか?

何をみましたか?

何を聞きましたか?

どういうものでしたか?

どんな感触でしたか?

本当に時空を超えましたか?

 

 

そして今どこにいますか?

 

 

どうしても話したいです

おしえてほしいです

 

わたしはそれを知ることが必要です

 

『死』を超えることで

全てがかわるでしょう

人は持って生まれた全ての可能性を取り戻して生きることができるようになります

わたしはどうしてもそれをやりたい

 

そういつか話したでしょう

 

 

どんなかたちでもタイミングでもいいです

 

 

わたしがそれとわかるように教えてください

 

 

教えてもらったこと

必ずいかします

 

 

Oさんが

やるはずだったこと

できなかったこと

考えていたたくさんのこと

 

その欠片の種はわたしの中にいきています

確実にしっかりと

 

 

やろうとしていたかたちとは違うけれど

でも出来る限りのことをします

なぜならそれがわたしの魂の望みだから

カラから出た雛鳥がどんな鳥になるのか

みていてください

 

 

会えた不思議を

なんの知識もなかったわたしに

こうしてたくさんのきっかけを与えてくれたことを

いくつもの偶然が重なり合って

いまここで

お手紙をかいていることを

 

 

本音をいえば

福音だっていっても

やはりさみしい

どれだけ教えてもらった知識を動員してもさみしい

 

 

たくさんの失礼をどうかお許しください

 

 

またいつかお会いしますね

そのとき限りない時間を話したいです

 

それまで

 

 

 

20170318

 

 

 

 

月と太陽

春がもうすぐそこの今日この頃

 

春分がもうすこしでやってきます

そしてそのあとの新月

恒例になってきました今年の魔法ハーブの庭の種まきです!!

今年は種の仕入れ先をかえてみたので

どんな具合になるかとてもたのしみです

今年こそニガヨモギを生やしたいのと

ホワイトセージのしげみをつくりたいと思っています

 

 

そして

種からそだてあげ

こつこつ地植えしてきた苗たちが

冬を乗り越え

しっかり大地に根を張り

新芽をだしてきている姿をみるのは

静かに嬉しいことですね

 

ゆっくりじっくり魔法の庭を育てる

こうして焦らないで時間をかけることっていいなあって思う毎日です

 

 

 

 

そんななか

わたしにとって大変衝撃なことがあったのです

 

 

わたしね

ずっと自分が『月』だって思っていきてきたのですよ

それと『水』

状況によってかたちをかえ

なにかをうつし

だれかを癒すもの

 

夜の澄んだみずうみに月がうつる

 

みたいなイメージをもちながらいきてきたのです

結構幼い頃から

 

 

しかーーーーーし!

今毎月開催している魔女会第2回において

 

 

 

まさかの

 

 

 

あなた『太陽』だよ

という指摘をいただきまして

 

唖然呆然

 

 

 

会うのは2回目なのに

ずっと知ってるみーちゃんが

 

 

太陽だよ?自家発電タイプだよ?

そのキラキラした溢れるエネルギーでまわりのひとが(勝手に)癒されるんだよ?

 

って

 

 

感情をストレートにおもてにださないままでよく素直にいきてこれたねっていってくれました

感情を感じたままにだしていいんだよって

本当ははげしい人だよ?って

今までずっと感情をだしたら嫌われていじめられるって思い込んでいたみたいで

出てきた感情を観察して薄めてそとに出していたみたいで

 

 

でもね

ほっとしたのです

なんだか

『自家発電』に

 

 

しかも太陽って事は

核融合ではないですか!!!!!

 

融合を学ぶためにここにきたって言われた事があったけど

 

自分のなかですでに融合起してるんじゃん!笑

 

 

 

 

 

 

少し前に心が言いました

 

でてくるそのきらきらを外にむけて放射するのではなくて

内にむけていなさい

そのほうがうまくいくからって

 

 

今このときに辿り着いている感覚は

 

 

自家発電で出てきたキラキラしたフリーエネルギーは

だれかや何かに向けてだすものではなくて

自分のなかで勝手に内側で感じていたらよいと

 

 

だって太陽はだれに見せようとするわけでなく主張するわけでもなく内側で融合をおこしてそこから漏れ出している光で

いつもキラキラ輝いていて

 

ここにいる生きとし生けるものたちは

そのキラキラを(勝手に)あびていきている幸せにいる

 

 

 

外がどうあろうと

カラー革命だろうとカオスだろうと断末魔の叫びだろうとモラハラの嵐だろうと

 

 

 

内面をキラキラしているのです勝手に

 

 

 

っておもったら

世界がちがってみえてきました

そのみえるものを

夢ではなく現実にするために

魔法の絨毯にのるのです

 

 

 

 

さっきふと気になってシュタイナーの「いかにして超感覚世界の認識を獲得するか」を

ぱっとひらく読書をしたのですが

 

そこに書いてありました

 

『怒ったり、不機嫌になったりするときの私は魂の周囲に壁を巡らし、霊眼を育てる力が私の中に入ってこられないようにしている』

(p114)

 

 

 

怒ったり不機嫌になるときって

本来の自分の姿をみうしなっているときに

とてもよく起ることだとおもうのです

 

 

 

 

 

本来の自分を生きられていないときには

魂の周囲に壁を巡らせてる

 

 

といえるのではないでしょうか

 

 

本来の自分のみつけかたが

あるのです

少し前にみつけました

自分をみつけたときそれはそれは嬉しくて幸せでした

 

 

そして今回の太陽だっていう発見

 

 

いまは表にはみえないかもしれない

けれどとても大きな変化

 

 

夢を現実に

調和のなかで

 

 

 

 

 

 

 

共有して現実にするために

とても久しぶりにあけた方舟

 

タイトルの箱船を『方舟』にかえてみました

 

わーい♡

 

ひとりでみる体験は夢

 

でもそれを誰かと何かと共有することで現実となる

結びつくこと

 

生きてここに居ることを実感するためにね

 

太陽として内面での核融合を実感するためにね

 

感情を感じるためにね

 

書こうときめた!

デミアン

大変ご無沙汰になっておるこちら

アウトプットしたいってびっくりするくらい思えなかったのです

ハイ。。。

 

 

最近あったあんなこともこんなこともいろいろですが

先日読み終わったヘルマンヘッセの『デミアン』についてです

 

 

デミアン (新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)

 

 

なぜこの本を読んだかというとですね

シュタイナークラスの高橋先生がこの本をとても大切にしていて

最近何度もこの本についてのお話があったからで

 

 

先生がこの本に出会ったのは戦時中12歳のとき

特攻に行ったいとこのかたみとしてもらったそうです

先生はこの本をポケットにいれて何度も何度も読み返したそうです

 

そう聞いては読まないわけにはいかないのです

 

古典系、物語系を最近避けていたのもあったので

ここは良い機会として手に取りました

 

 

やはり必然なのだなと

 

 

哲学サロンでも

 

たまごの中のヒナが孵るとき

ヒナはたまごの内側からこつこつと殻をたたく

それに呼応して親鳥も外側からこつこつと殻をたたく

そして殻を割ってヒナどりは外の世界に出てくるのだ

 

転じて

その人に何かのタイミングが来たときには外側からも援助がやってくる

 

 

っていうお話を何度もされていましたが

その元ネタはこの物語だそうです。



あらすじは

シンクレールという額にカインの印を持った少年が迷いながらも成長していくお話しで

同じ印を持った一種独特な年上のデミアンという導き手と

真の自己を求める物語です


生まれるための不安や迷い悩みの中から

真理をみつける事で殻を破り

楽園でのひと時をすごし

巣立ちを迎える



みつけた真理はとても心を温めました


190ページより



各人にそれぞれ一つの役目が存在するが、だれにとっても、自分で選んだり書き改めたり任意に管理してよいような役目は存在しない、ということを悟ったのだった。


〜中略〜 


目覚めた人間にとっては、自分自身をさがし、自己の腹を固め、どこに達しようと意に介せず、自己の道を探って進む、という一事以外にぜんぜんなんらの義務も存しなかった。



各人にとっての本当の天職は

自分自身に達するというただ一事あるのみだった

肝心なのは、任意な運命ではなくて、自己を見いだし、それを完全にくじけずに生き抜くことだった。


以上引用


シンクレールは辿り着きました



 そしてこれは少し前にわたしの中身が教えてくれたことと同じニュアンスのことでした



中身はこういいました


あなたがあなたを生きることだ


空にちからづよく伸びていくジャックの豆の木みたいなイメージのものだ


全ての出来事は可能性で何が起きてもいい


でもそれは豆の木に沿うツタのようなもの

望むことが叶うことは些細なこと



あなたはどこに辿り着いてもよいのだから


それが自分自身を生きるということ



この二つのメッセージがわたしからチカラを抜きました

受け身であることや運命に身をまかせるとはちょっと違う

だけど

ゆっくり静かに仄かに暗いところを

深淵にむけて落ちてゆくみたいなことを感じています



仄かにあたたかい安心で幸せな気持ちでいます



続けて

アマゾンさんがセット売りしてきた

ヘッセの『シッダールタ』を読んでいます


なかなかすごい素晴らしいところです



早く春こーい










 

 

 

惑星と元素とトラウマの発見の兆し

以前半田広宣さんの講演を聞いた時だったと思うけれど

 

新しい惑星や元素の発見は

人の意識の拡大が起きたことを表す

 

表現はうる覚えなのですがそんなニュアンスのお話をききまして

へええええ

って思ったのですが!!!

 

 

発見の兆しですね

 

新しい元素も惑星も

 

 

 

2016年ってすごい

 

(´-`).。oO(ニビルかなあ)

 

 

 

土星より外側は

人の無意識の領域ということなので

今度の発見されたかもしれない惑星は

ずっとずっと遠くを旅する惑星だから

ひとの無意識の領域は

ぐっと広がるということなのでしょう

 

 

 

なんにしてもいまここはカオスとおもうのです

このカオスのなかから何がうまれるのか

 

 

 

悪の沼から可憐な睡蓮は咲くのか否か

 

 

 

 

 

この前『象気功』さんのこちらの記事を読んでいて

神さまには正も邪もないと

一人一人の人間は絶対の孤独な存在なのであると

 

なかなかのインパクトのある記事で

でもものすごくしっくりきたのです

 

 

最初が最後で最後が最初で過去が未来で未来が過去である

 

 

 

 

わたしの世界にはわたししかいなくって

出会う全ての人はパラレルの世界に存在していて

交わったり離れたりしているわけで

だからわたしが誰かのパラレルな世界を救えるはずもなく

誰かがわたしの世界を救えるはずもなく

わたしの世界を救えるのはわたししかいなくって

誰かの世界を救えるのはその誰かしかいなくって

それができて初めて誰かは誰かの世界をもしかしたら救うことができるかもしれないできないかもしれない

 

そしてこうして存在している以上は

自分がよいと思う生き方でこの世界を全うしていくしかないわけで

どれがどんな方法なのかはそれぞれ違って

でもこのパラレルワールドの中で交わった他の世界にたいしてできることといえば

それは自分の世界を全力で生き切ることで

それがもしかしたらそれが何かの助けとなりうるかもしれなくて

でも役にたっているかどうかを判断できるのは自分ではない

自分はただ淡々と自分の世界を作り生きることしかできない

その中で無条件に誰かを認め受け入れることで

自分の世界がひろがりそして誰かの助けになるのかもしれない

でも大切なのは自分をいきること

それが繰り返され

螺旋状態となって上昇していくのだろうきっと

最初が最後で最後が最初だ

 

 

 

 

世界のためにトラウマがある

とも言える気がしています

その障害があるから気づくことができることがあるように思います

ずっとうっすら感じていたこの障害とついに決めて向き合うことにして行動することで

新しい扉と出会うことができるかもしれないこと

それも自分の世界のためにできること

 

 

 

ずっと迷っていたこの本をついに読んでおります

 

 

 

作者の大嶋さんというかたの文章がすきなのです

ブログも毎回とても素晴らしいです

とても優しくて希望をもつことができる文章なのです

今半分くらい読んだのだけれど素晴らしいご本だと思っています

これを読んで方法を手に入れてわたしがどうなるかがとても楽しみです

 

 

凪のある毎日をおくってみたいです

 

 

向き合う準備ができたから

読むことができているのです

理解することができる

 

 

今回もその必然をひしひしと感じています

 

 

 

 

神さまは確かに不条理でびっくりするような恐ろしいことを起こす

悪も起こすが善も起こす

なぜならば

神様には善悪という基準はないから

究極的には善も悪も一緒だから

ただそれを起こす

 

それを善だ悪だと判断するのは受け入れるこちらで

その行為自体に善悪はない

 

 

全ては受け入れる側の問題であるというのは

人と人との関係がそうである以上

人と神ともそうであるのです

 

 

 

上の如く下も然り

 

 

 

ただ行為のみが存在する

 

 

 

 

 

わたしの世界

いや

わたしの宇宙で

今こうして惑星が発見された兆しがあります

それは蝶に変容したという

意識の拡大が起きたという

証の一つであると思います

 

 

 

 

 

あなたの宇宙でのその兆しはどんなかたちですか

 

 

 

 

 

さて

これからシュタイナーの講義です

この時間が何よりのご褒美☆