バガヴァット・ギーター その1

うっひょう!!!

っと驚く早さで師走が駆けてきました
あまり寒くなくて嬉しいのですが
季節は季節として季節らしくあっていただかないとなのですが
寒いのは苦手であります
 
しかし一年は早い!
今年はとくにとくに早い!
這うような唇噛み締め堪えるような想いは多分もう終わっていると思うのだけど
このもぞもぞした時間は必要だから起きているとわかっているから
だから感謝して受け入れますね
 
 
崩れそうに高くなってきた積読を読み進めたいと思うのですが
これまたむつかしいし考えないといけない本ばかりを積んでいるため
なかなかなかなか進みません
 
 
 
なのでここでライブで進めた分をまとめながら読んでみたいと思っています
 
 
 
まずは
バガヴァット・ギーター「神の歌」
ヒンドゥー教の聖典であり
宗派や国境をこえて読み続けられているインド古典です
シュタイナー思想の根源にもなっているというこの本は高橋巖先生が吉祥寺のクラスで講義をされているという
シュタイナー思想を理解するためにも大変重要なものです
 
 
 
この物語は
アルジュナという王家の戦士に
クリシュナという御者に身をやつした絶対神(聖バガヴァット)が
人は社会人たることを放棄することなく現世の義務を果たしつつも窮極の境地に達することが可能であると説きます
 
 
何故これをここで中継しながら読むことにしたかというと
 
 
同族同士の戦争の戦線を前に
 
 
同族を皆殺しにしてまで生きたいとは思わない
わたしは戦わないでここに座り同族に殺されるに任せる
 
 
といいます
 
 
わたしも相手や理由が何であれ武器を持ち戦い殺すよりも座り戦わないことを望み
たとえそれが境地であるとも命よりも前に来ることはないと思っているので
 
何故クリシュナはアルジュナに戦うことを勧めたのか
それが何故境地に達することが可能なのかが知りたいと思うのです
 
 
何故たくさんの思想家達がこの聖典を素晴らしいというのか
 
 
今のこのテロリズムから世界が震える中
ここに何かを見出すことが出来るのか
 
 
そんなことを学びたいと思うのです
 
 
 
アルジュナの疑問は
わたしの疑問と同じで
読み進めていくにつれ
この疑問がどのようにして解決してゆくのでしょう
 
 
 
 
 
 
 
 
今のわたしのテーマのひとつである
 
 
 
全ての衝動を抑えて自分とともにあること
望まず排せず厭わず好まず
ただ自分自身と在ること
 
ということは
 
 
クリシュナの言うところの
 
 
 
意にあるすべての欲望を捨て、自ら自己(アートマン)においてのみ満足する時、その人は智慧が確立したと言われる。
 
全ての感官を制御して、専心し、私に専心して坐すべきである。
感官を制御した人の智慧は確立するから。
 
〜40〜41ページより引用〜
 
 
ということとイコールであると
おもうのです。
 
 
 
 
もう一つのテーマである
言葉
については
また追って