姿勢を改めて読書に励む
もうすぐ今年最初の新月が起こります
枕の位置を天窓の下に動かしてから
星や月が今まで以上に生活に彩りを添えてくれる様になりました
太陽系の惑星たちが
こんなに明るく夜空にいるって今まで知らなかった
今は毎日夜中明け方に目をさますと
決まって明るく輝く木星がこっちをみています
本当に明るくて透明な光です
この光をサードアイで捉えることを最近の楽しみとしています
月も太陽の光もサードアイで捉えてみるのです
何の役にたつのかはわからないのだけれど
それをすることが大事ということなので
この経過観察は今後また!
そんな中今日は今年最初の横浜のシュタイナーのクラスでした
毎回ハッとしつづけているので今日もまたいつものとおりなのですが
でもちょっとしたもやっとすることが解決できた感があるのでここに記します
今日は『オカルト的な読み方と聴き方』という新しいテキストに入る前に年末から残っていた『パウロの書簡』という新約聖書の感想文の会をしていました
最後に先生の感想としてパウロと今読んでいるバガヴァット=ギーターを合わせたお話がありました
読み途中な上にちょっとわからなくなっていたので
渡りに船といったかんじでした
もはや答えと言ってしまっても過言ではないことを教わってしまったので書いてしまいますが
この世とは無常の世界
あの世とは不滅の世界
クリシュナはアルジュナに
この世でいくら苦しんでも得をつんだとしても全ては仮の世界の出来事である
問題はその仮の世界で悪戦苦闘している中で不滅の世界であるあの世との縁が出来ること
それにいつか出会ってくれることを待っている
と
尊敬する親族を殺したくないというアルジュナと
『殺す』という結果ではなく
本来するべく戦うという行為にのみ意味があるというクリシュナ
ついつい自分の持っている常識を裁判官にして
自分の方が高いところに立ってこの本を判断しちゃっていたのです
でもそういう読み方はこのような霊的なことを扱うものを読むときの姿勢としては意味がないとシュタイナーは言います
オカルト的な読み方と聴き方から抜粋します
知的な教育を受けた現代人は書物の内容を評価する上で
自分以上に優れた判定者はいないと思っています
あらかじめそう思い込んでいるとしたらその人は書物の立場に従って新しい別の評価の仕方を学ぼうとするでしょうか
自分は優れていると思っている以上自分の立場を変える気なぞ初めからありません
ですから書物の新しい意図や方向が感じ取れません
真の霊学書を通して世界に対する別の感じ方
別の評価の仕方を持つ様になることが
霊学を学ぶための根幹神経になります
判断せずにただその書物との縁をつくること
それをしてはじめて
書いてある内容について
わかるわからないということが出てくる
そうシュタイナーは言います
確かにそうだなと思ったのです
ギーターを読むときの姿勢に謙虚さがなかったなと
そして最近の読書が楽しくなくなっている原因もここにあるのではと思いました
ずっとフィクションしか読んでこなかったのですが
最近はそうではないものばかり読んでいます
でも自分の判断基準でしか関わっていないので
本をよむことがおもしろいって思えなくなっていたのだと
ということで
姿勢をあたらめ
バガヴァット=ギーターとの縁をつくっていきたいと思います
ギーターを理解できるときがやってきた時
ギーターに出会う
ということのようです
今究極の利己主義が世界を変えるって考えています
でもどうしてもそれがうまく書けない
書いている途中から
自分がわからなくなってしまうのです
でも
わたしが思うそれは確実に万人にはあてはまらないこと
っていうかもしかしたら
わたし以外だれにもあてはまらないことかもしれない
でも
今のわたしはそうであると考えています
ずっと美徳とされていたように自己を滅して他人のために何かをしてもこの先には行けない
全ての答えは自分の中にあるから
だから徹底的に利己主義であることが必要に思うのです
自分が自分のためにすること
自分に正直になること
自分に光をあてること
深淵を目指すこと
それでしかこの壁は破れない
でももしかしたら壁を超えることが究極的に誰かのためになるかもしれない
わからない
何故なら結果ではなく行為だけが大事だから
いつか腑に落ちた時
このことはまた
あ
深淵はこのテキストにも出てきています
なんとまあ!!!
『内面への旅』 のテキストは
読み返せばそこにいつも求めるものがあります
これを理解できる時が来た
だから高橋先生に会えたのだなと思います
ありのままに受け取ります