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慰霊の日

ああああっっっっというまに

夏至をすぎました

まだ陽極まった酵素も仕込んでないのに!

気持ちが大切だから遅れてもトロピカルフルーツ酵素しこみますし

気持ちが大事だから魔法植物の種まきもします

 

 

今日は70回目の沖縄の慰霊の日でした

この特集はとても凄まじくて

でも知る必要があるから

今だからこそそこで何が起きたのか知る必要があるから

 

沖縄戦デジタルアーカイブ
http://www.okinawatimes.co.jp/sengo70/

 

 

そして高橋先生のクラスでの前回の読書感想会のために書いたものを載せたいと思いました。

 

佐藤優さんの『世界史の極意』の読書会の感想文より

 

p84~87
イギリスの歴史教科書に学ぶ
『帝国の衝撃』
イギリスの帝国主義の「失敗の研究」を11歳の子どもも学習の中でしている
帝国主義による植民地支配は世界中に災厄をもたらし憎しみを残した
なぜイギリスは誤ってしまったのかという一見『自虐歴史』とも取れそうな内容ですが
先輩方がとった政策や主義がなぜ失敗したのかということを通して今後のイギリスのあり方を構想することを教えようとしている
自らの弱さを自覚した上で新しい時代への対応を模索している
 
多分3月17日あたりの新聞に乗っていたハフィントンポストの記事のコラムで
ドイツが何故脱原発に向かうのかということの中で
ナチス政権が自然科学を悪用したという自国の歴史を国民がふまえているから
そういうことへの危惧が強い。
いいもの、という思い込みだけで進むことへの危惧感を国民全体が持っていること
 
という記述をみて
 
先の戦争に対して上のイギリスの教科書ではないけれど
各人が事実に向き合うことで、自分の先輩達が何をしたのか
それが世界にどのような影響を与えたのかということを見つめ考え反省し
これからの世界に向けて自分はどう考えるのか、ということが
個人のレベルでできているのだと思った。
 
要するに物事を判断するときのベースの考え方を幼い頃から植え付けているということ
 
今となってはどこまで正しい事実としての状況があったのかがどこまで分かるのかが疑問だが
事実として起こしたこと、起きたことを冷静に客観的に考え
自分ならどうするのかということを考えなければいけない
 
出来事は出来事としてフラットに捉える
こと
個人の主観としてのよいか悪いかという判断はひとまず脇に置いておいて、起きたこと、起こしたことを冷静にみること
そしてそれが与えた影響を自分でよく考えること
 
日本人は、わたしだけかもしれないけれど、どこかで自分たち国民も被害者だと思ってはいないか
陸軍とか政府、思想家たちが洗脳して、無垢なわたしたちはそれに抗うことができずにこうなってしまったと自分の中での責任みたいなことに向き合わずにいてしまっては居ないか
他人事になってはいないか
結局はその他人事みたいなものが
一部の人の暴走を許し
取り返しのつかないことになってしまうのではないかという大きな危惧を抱いた
 
『自らの手がもうすでに汚れているという自覚をもつ』こと