内在を深めるということ

秋も深まり少しづつ紅葉も始まって

時の移り変わりを感じる今日この頃

昨日の満月もとても綺麗で

でもそれよりも天中を越えて傾き始めた月のあとから

とても素敵な星空が広がっていました

あんなに明るい月と星がいっぺんに見えることって

なかなかないんじゃないかなというくらい

とてもくっきりした星たちがこちらを見つめていました

 

全てに線を引き

執着を手放して離れるということをしています

そのなかで懐かしい人たちともふと会えたりしています

過去がたくさん戻ってきています

忘れていてなかったことにしてきた過去たちが

ふとした瞬間に戻ってくることはなんだかとても愛おしいことで

なかったことにしてきたものたちと仲直りして統合しているようです

 

 

『過去は消え去ったものでなく自分の中に続いている時間は過ぎ去っていないで保存している』

宇宙史(生命史)の流れの中に『自分』というものが乗っかっている

記憶が乗っかっている器に意識を向けること

その記憶の底で生きつづけている『生命』に心をむけること

記憶はそれ自体で存在する

即時的なものである

 

 

これは日曜日に哲学サロンのスピンオフ企画の半田広宣さんのセミナーで話されていたことです

 

 

セミナーにはたくさんの方が来ていておもしろかったです

興味津々の臨死体験している方とか占いの方とかヘミシンクの方とか

今ははじめましての輪に入れないもので

というより人との接し方がわからないから

遠くから眺めているだけでしたが

とてもよいエーテルに包まれていました

とても居心地がよかった

なにも気を使わなくてよくてとてもリラックスできました

話している内容が分かったわけではないのですが

わからなくてもそれでよくて

でも根底にある大いなる何かには触れているような

 

 

話の内容はみな同じことをいい方を変えて話しているという感覚です

 

セミナーについては自分のなかでもう少し消化してから書きたいと思います

 

 

シュタイナーのクラスでは結構出来るのですが

今回も上手に上と繋がりました

多分まだまだ初心者なのでその場のエーテルがとても大切なようです

セミナーで質疑応答が始まった瞬間に空気がかわってそれはやさしいあたたかいものになりました

 

内在を深めるということの大切さ

全てを自分がつくったものという感覚で徹底的に内在化していうことで

その先で外在世界を作ったものに出会う

 

一見矛盾しているようにも思えるのですが

自分のなかを突き詰めて詰めていくことで

入っていくことで外に出るというクラインの壺みたいなもの

 

そしてここのところずっと疑問だった

『なぜわたしはもう二度としないと思った量産の仕事をしているのか』

ということに対する答えがきました

それは

 

つながるためにやっている

つくることが内在を深めるためのツール

手を動かすことをしなさい

徹底的に

それが内在に深く入るためのツールだから

 

 

答えは自分のなかにある

ということはここのところずっと思っていたことで

それしか先に行く方法はないということもわかっていたことで

その方法がわからなかったのです

 

 

 

現在の認識のレベルで行きつけるところまで行くしか

次の認識のレベルに行くことはできない

自分で考えて

自分のアタマで考えて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋分の晴れたたかい空のした

あっというまに秋分です

今日は中庸

明日から少しづつ陰が多くなってきます

 

わたしの少し苦手な季節

 

そういうときはじっと自分との対話をするのがよいと心得ていますので

今のように醜くおぞましいものが出てきたとしても

それを見つめ受け入れることをしていこうと思います

 

ってところまで書いて

二度目のデータとぶ現象が起こったので

書く内容を少し変えてみようと思います

ああびっくりしたー

 

自分で考えるという事に向き合おうと思っています

ついつい誰かの書いた事話した事を学ぶ事ばかりしがちになるますが

でも自分はどう思うのか考えるのか

という思考の方向にしていこうと思います

それが合っている間違っているとかでなく

 

宇宙のなりたちとか

なぜここに存在しているとか

世界の在り様とか

神様とか愛とか

宗教とか哲学とか物理学とか

 

そういう自分のなかのロールプレイング的なことをしばらくここでアウトプットしながらやってみよう

ということになりました

データ2回とんだから

 

ではここのところの安保法案にむけてという意味も含めて

ここからやってみましょう

 

 

 

世界の在り様とは

 

 

 

安保法案に関していえば賛成とか反対とかを越えて

『そんな旧時代のことをまたなんで今???』

反対するのもおもしろくなっちゃう程

 

 

ない

 

 

少し前まで原発反対のデモをみて

行かなきゃってどきどきしていたけど

でも反対を叫ぶことはしないというマザーテレサの考えにそのとおりと思うので

デモをしている人達を尊敬しているけれど

わたしは行かない

みんなで集まって声をあげるということ(合唱なんかも含めて)がちょっと苦手でもあるのです

なぜか鳥肌が立ってしまう

多分

みんなが同じ方を向いて声をあげることが怖いのだと思うのです

それがどんな内容だったとしても

 

 

わたしが生きている世界

 

敵と味方がない

命は等しく尊重される

自然を敬いともに暮らす

 

全て命あるものは同じ時代にここに存在している仲間で

ふれあうところには愛がある

袖振りあうも他生の縁

ふれあった命には全力の愛

 

 

人は自然を調伏できるって思って頑張ってきたのが20世紀までの自然科学で

たしかにたくさんの命は救われてとても便利な世の中になったのだけど

でもその上に立って支配することはできない

どんなに高い堤防も津波や氾濫を食い止める事は出来ない

 

だったら共に生きたらよくて

 

生かされている

生きている

 

決してひとりで生きている訳でなくって

いろんな存在から生かされている

 

その生かされている存在に愛をもって接すること

 

今朝電車でとなりに座ってたご夫人にも

そこにいる虫にも

食卓にあがってくれた動物たちにも

 

 

 

組織で考えたら悪も善もある

組織は人がつくったものであるけれど

でも出来てしまえば一人であるく

 

 

 

外国が怖いって思う

でもひとりひとりの人は怖くない

誰かから愛されてこの世に産まれた存在で

自分と同じように誰かから愛されて誰かを愛して必死に生きている

文化や話す言葉がちがうだけ

 

 

政府が憎いって思う

でもひとりひとりの人は憎くない

かわいそうにって思うけど

でもそれもその人が選んだことだからそれでいいんじゃあないかって思う

次にあなたに投票しないだけで

 

罪を憎んで人を憎まず

 

ということをどこまでできるか

なのかな

 

 

二極化の時代とよく言われますが

本当にそう思う

自分とちがうなと思ったら

愛を持ってそっと離れるだけ

 

 

なんていうか

わたしはあなたたちが幸せでいるならそれでいいそれがいい

それはわたしが望んだかたちではないけれど

でも願いは叶ったんだとおもう

ただそこにわたしが居ないだけ

思いを伝えられなかっただけ

 

遠くにいくけどいつも大好きでいつも笑っていてと願うことをずっとずっと続ける

 

そんなある秋分の一日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20150716

台風12号が西日本を横断しようとする

国会で安保がおかしなことになる

蟹座の新月の今日

日付かわって昨日

 

 

とどのつまり

愛と許しとは

おかあさんのことだね

Mother

 

 

人はどれだけ科学や技術を発展させたところで

自然の前にはなすすべがないのだよ

 

 

勝ちとか負けとか

がんばっているとか

誠意をみせているとか

 

 

そういう問題ではなくって

 

 

対抗しようとか征服しようとか克服しようとか

そういう発想じゃなくて

 

ただただ母なる地球の上で生きている以上

畏敬の念をもって

共に生きることしかできないのだよ

 

 

こんな簡単なこと

 

 

敬い愛し受け入れあい

 

 

だれも悪くないのね

 

 

ただ大地と共に生きればいいだけ

 

 

イチエフに行ってきました

 

 

なんでだろう

なんであそこにわたしがいたんだろう

って

とても不思議だった

あんなに放射能が怖かったのに

爆発した原発を震えながらみていたのに

あともすふぉーぴーすはありえないと思っているのに

 

6号線通るときいつも不思議だった

不思議だけどいつも祈っていた

 

 

すぐそこにあのとき爆発した原子炉建屋があった

津波が押し寄せていた防波堤がそこにあった

遮水壁が汚染水タンクがアルプスが免震棟が

 

 

わたしの目的は果たせたと思う

 

 

全てを受け入れること

愛と許しをそこに置いてくること

おおかみこどものおかあさんの唄が助けてくれた

 

 

帰りのバスで

帰り道コンビ二寄ってアイス買っていい?って言ったとき

涙がでた

 

 

考えよう

閉じた心でみたことを

今日を少しづつひもといて

 

 

わたしはおかあさんになろう

 

 

 

 

 

 

 

許されるということ

どんどん夏がはびこってきて 

きっと台風が行ったらあとからわくわくが充満するんだろうなあ

ちょうど新月明けくらいになるのだろうか

 

そうそう次の新月もこれまたパワフルなものみたいでありがたいです

ちょうど新月の時間に願いを込めることが出来るのは

もはや計らいとしか思えないのです

 

そんななか『許される』を学びました

自分のアホさ加減にほとほと嫌になって

もう人を止めようともう人との関わりを止めて静かに隠れて暮らそうって本当に思ってでもそれでも悲しくて悲しくて

全てが悲しかった

悲しいことばっかりだって思いました

失うばっかり

しかも自分のしたことで自分が100%いけないことで

 

 

でも助けがきて許されました

 

まるで冷たくて暗くて寒い海から引き上げられて

あたたかい毛布にくるまれて抱きしめられてるみたいでした

 

そこで気づきました

 

許されることは愛されることと同じくらいの喜びだということ

わたしは自分を全く許していないこと

いろんなことを許していないこと

そして許されたければ自分が自分を許す必要があること

 

 

そう愛されたければまず自分自身を愛することと同じで

許されたければまず自分を許すことなのだとわかりました

 

 

 

起きたことはそれとしてきちんと見ること

それを人のせいにせずにありのままを受け入れること

原因を考えること

反省して次にしないこと

そして謝ること

 

 

 

それと自分を責めて許さないこととは違うのだということです

 

 

 

もうひとつ

助けてくれた人がしてくれたように

自分も誰かの助けになろうと

誰かの怒りをそっと納めて許せるように促すことが出来るようになろうと

 

 

 

 

シュタイナーは『内面への旅』のなかでこういいます

 

私たちの活動は、こうして絶えず宇宙に放出され、宇宙に移されていきます。

中略

私たちの存在全体には、秘儀とも言えるような働きがあるのです。実際、人間の働きには、基本的に秘儀があって、知性では把握できません。人間の魂はこの働きを信じ、それに帰依するしかないのですが、しかしそれは真実の働きです。

人間が環境へ放射できるものは、はっきりと二つの部分に分かれ、宇宙の営みは、一方の霊聴、霊的合一、霊視の部分を頼りにし、この部分を受容し、吸収します。しかしもう一方は、吸収されずに投げ返されます。

中略

ではこの部分(投げ返されたもの)はどれほど長い間立ち止まり続けるのでしょうか。人間がやってきて、みずからの放射によってそれを根絶してしまうまでです。

それをみずから放射した人間こそが、宇宙が拒んだこの放射を根絶できるのです。

中略

宇宙は正しく思考し、美しく感じ、道徳的に善なる事柄だけを受容するのですから。

そうでないものは、すべて退けられるのです。これが秘儀なのです。

 

 

 

 

心からの感情や真善美は宇宙のエネルギーになります

そうでないものの放射については自分の思考、感情、意志(行動)にて回収する必要があるということですね

自分の行動のありのままを受け入れて判断し反省することは

だから必要なのですね

 

 

 

人はどこに行くときもどこにおいてもその人の精妙な影をあとに残すとシュタイナーは言います

自分自身が愛と許しであることが

真善美であることが

その影を行く先々でのこしていくことが

いろんなことの解決に繋がるのではないかと思っています

 

 

わたしは愛と許しである

 

 

これをこのタイミングで知ることができてよかった

 

 

サムシンググレートはわたしをとおして作用する

わたしはサムシンググレートの一部だから

それを知っているから

だからこの新月のタイミングで一番祈りたい場所に行く事ができるのだと思っています

 

 

それを許されたことをありがたいと思うのです

 

 

 

 

 

 

 

慰霊の日

ああああっっっっというまに

夏至をすぎました

まだ陽極まった酵素も仕込んでないのに!

気持ちが大切だから遅れてもトロピカルフルーツ酵素しこみますし

気持ちが大事だから魔法植物の種まきもします

 

 

今日は70回目の沖縄の慰霊の日でした

この特集はとても凄まじくて

でも知る必要があるから

今だからこそそこで何が起きたのか知る必要があるから

 

沖縄戦デジタルアーカイブ
http://www.okinawatimes.co.jp/sengo70/

 

 

そして高橋先生のクラスでの前回の読書感想会のために書いたものを載せたいと思いました。

 

佐藤優さんの『世界史の極意』の読書会の感想文より

 

p84~87
イギリスの歴史教科書に学ぶ
『帝国の衝撃』
イギリスの帝国主義の「失敗の研究」を11歳の子どもも学習の中でしている
帝国主義による植民地支配は世界中に災厄をもたらし憎しみを残した
なぜイギリスは誤ってしまったのかという一見『自虐歴史』とも取れそうな内容ですが
先輩方がとった政策や主義がなぜ失敗したのかということを通して今後のイギリスのあり方を構想することを教えようとしている
自らの弱さを自覚した上で新しい時代への対応を模索している
 
多分3月17日あたりの新聞に乗っていたハフィントンポストの記事のコラムで
ドイツが何故脱原発に向かうのかということの中で
ナチス政権が自然科学を悪用したという自国の歴史を国民がふまえているから
そういうことへの危惧が強い。
いいもの、という思い込みだけで進むことへの危惧感を国民全体が持っていること
 
という記述をみて
 
先の戦争に対して上のイギリスの教科書ではないけれど
各人が事実に向き合うことで、自分の先輩達が何をしたのか
それが世界にどのような影響を与えたのかということを見つめ考え反省し
これからの世界に向けて自分はどう考えるのか、ということが
個人のレベルでできているのだと思った。
 
要するに物事を判断するときのベースの考え方を幼い頃から植え付けているということ
 
今となってはどこまで正しい事実としての状況があったのかがどこまで分かるのかが疑問だが
事実として起こしたこと、起きたことを冷静に客観的に考え
自分ならどうするのかということを考えなければいけない
 
出来事は出来事としてフラットに捉える
こと
個人の主観としてのよいか悪いかという判断はひとまず脇に置いておいて、起きたこと、起こしたことを冷静にみること
そしてそれが与えた影響を自分でよく考えること
 
日本人は、わたしだけかもしれないけれど、どこかで自分たち国民も被害者だと思ってはいないか
陸軍とか政府、思想家たちが洗脳して、無垢なわたしたちはそれに抗うことができずにこうなってしまったと自分の中での責任みたいなことに向き合わずにいてしまっては居ないか
他人事になってはいないか
結局はその他人事みたいなものが
一部の人の暴走を許し
取り返しのつかないことになってしまうのではないかという大きな危惧を抱いた
 
『自らの手がもうすでに汚れているという自覚をもつ』こと
 

 

 

 

変容とは

あたまを使うこととのバランスをとるために

今は身体を使うときということで

毎日の立ち仕事ですが

これまた結構効くわあ

腰がねえ

でも着実に痩せますねこれ

最大9キロ

っていうかそれだけ痩せられるだけの要素をもっていた自分にびっくりですね

 

お肉を手放すと

心もかるくなります

動きやすいしね

 

 

 

この前思ったことをここに

かわることについて

 

 

今時計をみたら111だったから

これを書くことが正しいことだとわかりました

 

 

意識が変わると行動がかわる

行動が変わると世界がかわる

世界が変わると心がかわる

心が変わると人生がかわる

 

 

人生が変わると魂がかわる

 

そして宇宙はそのすべてを受け入れる

 

 

 

どれだけ自分に向き合わないで

見ないようにして逃げて逃げて逃げて

いろんなことに鈍感になって生きてきたのだろう

情報だけはあったから

あたまではわかったような気になっていたけど

 

これはアルケミスト錬金術士が言ったことと一緒

 

『やってみればよかった』

 

 

 

 

宇宙から集合がかかりました

 

 

続きはまた次回に

 

 

 

 

 

マインドとハートといのち

早いものでもう桜の季節も終盤

この寒い雨できっと散ってしまうでしょう

ひさしぶりのお休み

嬉しいな♪

ってことで月曜日の瞑想集中講座のことを書いてみようと思います

本当はさきに「だるまんシュタイナー」を書きたいのですが

鮮度も大切!ということで

 

 

 

月曜日はダブルみきの片割れの『太陽』と瞑想集中講座に行ってきました

4時間があっという間のとても濃い時間でした

 

まず『瞑想する』ということは

普段の「マインド」の世界から「こころ」「いのち」の世界へ移行するということです

「マインド」とは

考え、概念、セルフイメージ、記憶などのアンカーラ、つまり自我

またの言い方をすると、常識や情報、社会通念などの外から来る後付けの世界です

過去やそこからくる未来でもあります

なので「現実」とはマインドの産物です

 

 

「ハート」「いのち」の世界とは

内なる世界でいまここ

無条件の愛の世界です

 

 

 

この移行は自我の世界から内なる世界への移行であるため

自我は抵抗してきます

眠くなる、いろんな考えが渦巻くというのは自我の反抗からくるものでもあるようです

いつもは「マインド」が動いているのですが

瞑想することによって「こころ」が「マインド」を使って動くことをおぼえます

それは社会通念や常識で動くのではなく

内なる声によって動くことになります

 

 

 

それは『気づき』をもたらします

 

 

 

 

内なる声が外野の声を上回るとき

あなたの人生は素晴らしいものになる

 

 

 

 

『気づき』は入口に立ってみると苦痛ですが

一歩踏み入れるとあたたかい世界です

なぜならそこは自分のハートのなかだから

人間の本質はとてもあたたかいもので慈愛であるから

自分自身を恐れる必要はないのだということに気づくことができると

生きることがしやすくなります

 

 

 

瞑想とはそういう効果をもたらすものなのだと

ワークショップに出て

振り返りながら考えることで

分かったような気がします

 

 

よい経験です

何事も試してみることですね

 

 

ひとつも無駄なことはない

悲しいこともつらいことも悔しいことも

それがあるから気づきはやってくるのですね

 

 

 

何故瞑想を座ることが出来なかったのか

今よくわかります

本を読んでいて眠たくなることも

 

 

マインドがとても強いのですね

そして向き合うということを一切してこなかったので

自我の肥大化が進んでいました

こういった情報ですら自我の肥大化の材料にしかなっていなかった

 

 

この1年毎日が新しい岩盤との出会いのようなものでした

毎日それを割って新しい境地に出会うのに

またすぐに新しい岩盤が出てきます

それをただ黙々と繰り返して繰り返しているうちに

気づいたら全く違うところにやってきたようなきがします

でもまだまだ新しい岩盤はでてきます

きっと命がここにある間はずっとそれが続くのでしょう

 

 

 

 

人生に目的はない

生きているということただそのことがすでに目的でありそれは常に達成されている

 

 

 

 

 

今日は木星が順行に戻る日です

日蝕月蝕が終わり世界は変化の速度を変えたようにおもいます

重く圧をかけてきた3月が終わり

なんとなくポンっと出たように思います

出た場所をこれから見極めてここで生きていくことをよく学ぼうと思います

 

 

 

すべては完璧なタイミングで宇宙が起こしていること

起こることが起こります

自分が意図すること

求めること

そうすればそれは宇宙が全力で与えてくれること

 

 

さて

どう生きようか!