紐解かれていくことを記録する
お見送りしたこと
11月になったー!
はやいーーー!!
ふと8月から時間が止まったように感じました
時空の乱れかしらねえ
でもそういえばこのことについて書いていなかったことを思い出したので
したためておこうと思い筆をとりました
8月5日の早朝に祖母が向こう側に旅立ちました
ふっとその時が戻ってきて
そこからの時間の経過に驚いたのでした
その前の週末からゴハンが食べれなくなりお水がのめなくなり
会いに行ったら死相が出ているのをみて驚いて
たまたまその日にお地蔵さまと遍照金剛さまとヴァイローチャナがよしよししてくれて
そのときの深い愛情に包まれる感覚に涙がでて
わたしもそういう存在であればよいって思ったので
そのときの感覚そのままに彼女をよしよししたら
死相は消え安心しました
でも水が飲めないのは続きちょっとそろそろもたなくなるのではないかと思って
その夜は施設に泊めてもらい一緒に夜を明かそうと思いました
祖母は子供と一緒の目線で遊んでくれてそれが嬉しいので子供のころはたくさんの時間を一緒に過ごしました
それと同時にとても勉強熱心で学ぶことが大好きでいろんな知識をたっくさん持っていたようです
それを人に教えることはせずに
ただただ謙虚に学び続けた人でした
手先も器用でわたしたちの服をたくさん縫ってくれました
もっと歳が近かったらきっととても仲良い友達になったのではないかと思います
わたしは初孫なのでとにかくかわいがってもらいました
大切にされた記憶がたくさんあります
なにか近くに居たくって
最後に味わうなら日本人だし美味しいだしの味がいいかなと
口にふくませてあげるために濃いだしをつくって持参し
自分のスケジュール的にここしかないというタイミングで泊まったら
なんと見送ることになりました
そのとき祖母に対してしたことは
身体が楽になることと恐怖を乗り越える誘導でした
呼吸が苦しそうだったので胸と背中に手を当てて『ゆき』をしながら彼女の呼吸にあわせて
息を吸うたびに楽になり
吐くたびに苦しさや不安が出て行くというふうに声をかけていました
12時前に圧倒的な睡魔がやってきたのでとりあえず身を任せて一度向こうに行って
きっとそれをもっとうまく行う方法を携えて帰ってきたようにおもいます
その時のことはあまりよく覚えていないけれど
その後の誘導はとてもうまくいったように思います
苦しそうだった息もだんだん楽になってきて表情もやわらかくなってきて
これならと
夜が明けたら帰ろうと思ってちょっとぼーっとしていたら
カッと息をすって息がとまりました
冗談かと思ってゆすっても呼んでももう息をすることはありませんでした
3時46分でした
やっとここでの学びを終えることが出来て
それを受け入れることが出来て本当に良かったとおもいます
人は誰しも自分の存在をただあるがままに受け入れてもらいたいという欲求を持っているということを
そして自分とそれ以外の宇宙に全てを委ねることができたときに次の扉を開けることができるのだということを
その日彼女とともにいることで
わたし(をとおした世界)が彼女をすべて受け入れることで
ここをはなれるためのきっかけになったのだと思います
それとともに
身内を亡くすということはとても辛いことですが
後悔を残すということでは
施設で寿命をむかえても誰かが最期を看取って旅立ったということはせめてもの救いになるのではないかと思います
彼女はわたしにたくさんのものを残してくれました
最期にほんとうに大きなギフトを置いて行ってくれました
今いるところでしっかりと見守っていてくれていることを感じます
わたしはわたしでよかった
わたしはここに存在していてよかった
というメッセージがきましたなう
内在を深めるということ
秋も深まり少しづつ紅葉も始まって
時の移り変わりを感じる今日この頃
昨日の満月もとても綺麗で
でもそれよりも天中を越えて傾き始めた月のあとから
とても素敵な星空が広がっていました
あんなに明るい月と星がいっぺんに見えることって
なかなかないんじゃないかなというくらい
とてもくっきりした星たちがこちらを見つめていました
全てに線を引き
執着を手放して離れるということをしています
そのなかで懐かしい人たちともふと会えたりしています
過去がたくさん戻ってきています
忘れていてなかったことにしてきた過去たちが
ふとした瞬間に戻ってくることはなんだかとても愛おしいことで
なかったことにしてきたものたちと仲直りして統合しているようです
『過去は消え去ったものでなく自分の中に続いている時間は過ぎ去っていないで保存している』
宇宙史(生命史)の流れの中に『自分』というものが乗っかっている
記憶が乗っかっている器に意識を向けること
その記憶の底で生きつづけている『生命』に心をむけること
記憶はそれ自体で存在する
即時的なものである
これは日曜日に哲学サロンのスピンオフ企画の半田広宣さんのセミナーで話されていたことです
セミナーにはたくさんの方が来ていておもしろかったです
興味津々の臨死体験している方とか占いの方とかヘミシンクの方とか
今ははじめましての輪に入れないもので
というより人との接し方がわからないから
遠くから眺めているだけでしたが
とてもよいエーテルに包まれていました
とても居心地がよかった
なにも気を使わなくてよくてとてもリラックスできました
話している内容が分かったわけではないのですが
わからなくてもそれでよくて
でも根底にある大いなる何かには触れているような
話の内容はみな同じことをいい方を変えて話しているという感覚です
セミナーについては自分のなかでもう少し消化してから書きたいと思います
シュタイナーのクラスでは結構出来るのですが
今回も上手に上と繋がりました
多分まだまだ初心者なのでその場のエーテルがとても大切なようです
セミナーで質疑応答が始まった瞬間に空気がかわってそれはやさしいあたたかいものになりました
内在を深めるということの大切さ
全てを自分がつくったものという感覚で徹底的に内在化していうことで
その先で外在世界を作ったものに出会う
一見矛盾しているようにも思えるのですが
自分のなかを突き詰めて詰めていくことで
入っていくことで外に出るというクラインの壺みたいなもの
そしてここのところずっと疑問だった
『なぜわたしはもう二度としないと思った量産の仕事をしているのか』
ということに対する答えがきました
それは
つながるためにやっている
つくることが内在を深めるためのツール
手を動かすことをしなさい
徹底的に
それが内在に深く入るためのツールだから
と
答えは自分のなかにある
ということはここのところずっと思っていたことで
それしか先に行く方法はないということもわかっていたことで
その方法がわからなかったのです
現在の認識のレベルで行きつけるところまで行くしか
次の認識のレベルに行くことはできない
自分で考えて
自分のアタマで考えて
秋分の晴れたたかい空のした
あっというまに秋分です
今日は中庸
明日から少しづつ陰が多くなってきます
わたしの少し苦手な季節
そういうときはじっと自分との対話をするのがよいと心得ていますので
今のように醜くおぞましいものが出てきたとしても
それを見つめ受け入れることをしていこうと思います
ってところまで書いて
二度目のデータとぶ現象が起こったので
書く内容を少し変えてみようと思います
ああびっくりしたー
笑
自分で考えるという事に向き合おうと思っています
ついつい誰かの書いた事話した事を学ぶ事ばかりしがちになるますが
でも自分はどう思うのか考えるのか
という思考の方向にしていこうと思います
それが合っている間違っているとかでなく
宇宙のなりたちとか
なぜここに存在しているとか
世界の在り様とか
神様とか愛とか
宗教とか哲学とか物理学とか
そういう自分のなかのロールプレイング的なことをしばらくここでアウトプットしながらやってみよう
ということになりました
データ2回とんだから
笑
ではここのところの安保法案にむけてという意味も含めて
ここからやってみましょう
世界の在り様とは
安保法案に関していえば賛成とか反対とかを越えて
『そんな旧時代のことをまたなんで今???』
反対するのもおもしろくなっちゃう程
ない
少し前まで原発反対のデモをみて
行かなきゃってどきどきしていたけど
でも反対を叫ぶことはしないというマザーテレサの考えにそのとおりと思うので
デモをしている人達を尊敬しているけれど
わたしは行かない
みんなで集まって声をあげるということ(合唱なんかも含めて)がちょっと苦手でもあるのです
なぜか鳥肌が立ってしまう
多分
みんなが同じ方を向いて声をあげることが怖いのだと思うのです
それがどんな内容だったとしても
わたしが生きている世界
敵と味方がない
命は等しく尊重される
自然を敬いともに暮らす
全て命あるものは同じ時代にここに存在している仲間で
ふれあうところには愛がある
袖振りあうも他生の縁
ふれあった命には全力の愛
人は自然を調伏できるって思って頑張ってきたのが20世紀までの自然科学で
たしかにたくさんの命は救われてとても便利な世の中になったのだけど
でもその上に立って支配することはできない
どんなに高い堤防も津波や氾濫を食い止める事は出来ない
だったら共に生きたらよくて
生かされている
生きている
決してひとりで生きている訳でなくって
いろんな存在から生かされている
その生かされている存在に愛をもって接すること
今朝電車でとなりに座ってたご夫人にも
そこにいる虫にも
食卓にあがってくれた動物たちにも
組織で考えたら悪も善もある
組織は人がつくったものであるけれど
でも出来てしまえば一人であるく
外国が怖いって思う
でもひとりひとりの人は怖くない
誰かから愛されてこの世に産まれた存在で
自分と同じように誰かから愛されて誰かを愛して必死に生きている
文化や話す言葉がちがうだけ
政府が憎いって思う
でもひとりひとりの人は憎くない
かわいそうにって思うけど
でもそれもその人が選んだことだからそれでいいんじゃあないかって思う
次にあなたに投票しないだけで
罪を憎んで人を憎まず
ということをどこまでできるか
なのかな
二極化の時代とよく言われますが
本当にそう思う
自分とちがうなと思ったら
愛を持ってそっと離れるだけ
なんていうか
わたしはあなたたちが幸せでいるならそれでいいそれがいい
それはわたしが望んだかたちではないけれど
でも願いは叶ったんだとおもう
ただそこにわたしが居ないだけ
思いを伝えられなかっただけ
遠くにいくけどいつも大好きでいつも笑っていてと願うことをずっとずっと続ける
そんなある秋分の一日
20150716
台風12号が西日本を横断しようとする
国会で安保がおかしなことになる
蟹座の新月の今日
日付かわって昨日
とどのつまり
愛と許しとは
おかあさんのことだね
Mother
人はどれだけ科学や技術を発展させたところで
自然の前にはなすすべがないのだよ
勝ちとか負けとか
がんばっているとか
誠意をみせているとか
そういう問題ではなくって
対抗しようとか征服しようとか克服しようとか
そういう発想じゃなくて
ただただ母なる地球の上で生きている以上
畏敬の念をもって
共に生きることしかできないのだよ
こんな簡単なこと
敬い愛し受け入れあい
だれも悪くないのね
ただ大地と共に生きればいいだけ
イチエフに行ってきました
なんでだろう
なんであそこにわたしがいたんだろう
って
とても不思議だった
あんなに放射能が怖かったのに
爆発した原発を震えながらみていたのに
あともすふぉーぴーすはありえないと思っているのに
6号線通るときいつも不思議だった
不思議だけどいつも祈っていた
すぐそこにあのとき爆発した原子炉建屋があった
津波が押し寄せていた防波堤がそこにあった
遮水壁が汚染水タンクがアルプスが免震棟が
わたしの目的は果たせたと思う
全てを受け入れること
愛と許しをそこに置いてくること
おおかみこどものおかあさんの唄が助けてくれた
帰りのバスで
帰り道コンビ二寄ってアイス買っていい?って言ったとき
涙がでた
考えよう
閉じた心でみたことを
今日を少しづつひもといて
わたしはおかあさんになろう
許されるということ
どんどん夏がはびこってきて
きっと台風が行ったらあとからわくわくが充満するんだろうなあ
ちょうど新月明けくらいになるのだろうか
そうそう次の新月もこれまたパワフルなものみたいでありがたいです
ちょうど新月の時間に願いを込めることが出来るのは
もはや計らいとしか思えないのです
そんななか『許される』を学びました
自分のアホさ加減にほとほと嫌になって
もう人を止めようともう人との関わりを止めて静かに隠れて暮らそうって本当に思ってでもそれでも悲しくて悲しくて
全てが悲しかった
悲しいことばっかりだって思いました
失うばっかり
しかも自分のしたことで自分が100%いけないことで
でも助けがきて許されました
まるで冷たくて暗くて寒い海から引き上げられて
あたたかい毛布にくるまれて抱きしめられてるみたいでした
そこで気づきました
許されることは愛されることと同じくらいの喜びだということ
わたしは自分を全く許していないこと
いろんなことを許していないこと
そして許されたければ自分が自分を許す必要があること
そう愛されたければまず自分自身を愛することと同じで
許されたければまず自分を許すことなのだとわかりました
起きたことはそれとしてきちんと見ること
それを人のせいにせずにありのままを受け入れること
原因を考えること
反省して次にしないこと
そして謝ること
それと自分を責めて許さないこととは違うのだということです
もうひとつ
助けてくれた人がしてくれたように
自分も誰かの助けになろうと
誰かの怒りをそっと納めて許せるように促すことが出来るようになろうと
シュタイナーは『内面への旅』のなかでこういいます
私たちの活動は、こうして絶えず宇宙に放出され、宇宙に移されていきます。
中略
私たちの存在全体には、秘儀とも言えるような働きがあるのです。実際、人間の働きには、基本的に秘儀があって、知性では把握できません。人間の魂はこの働きを信じ、それに帰依するしかないのですが、しかしそれは真実の働きです。
人間が環境へ放射できるものは、はっきりと二つの部分に分かれ、宇宙の営みは、一方の霊聴、霊的合一、霊視の部分を頼りにし、この部分を受容し、吸収します。しかしもう一方は、吸収されずに投げ返されます。
中略
ではこの部分(投げ返されたもの)はどれほど長い間立ち止まり続けるのでしょうか。人間がやってきて、みずからの放射によってそれを根絶してしまうまでです。
それをみずから放射した人間こそが、宇宙が拒んだこの放射を根絶できるのです。
中略
宇宙は正しく思考し、美しく感じ、道徳的に善なる事柄だけを受容するのですから。
そうでないものは、すべて退けられるのです。これが秘儀なのです。
心からの感情や真善美は宇宙のエネルギーになります
そうでないものの放射については自分の思考、感情、意志(行動)にて回収する必要があるということですね
自分の行動のありのままを受け入れて判断し反省することは
だから必要なのですね
人はどこに行くときもどこにおいてもその人の精妙な影をあとに残すとシュタイナーは言います
自分自身が愛と許しであることが
真善美であることが
その影を行く先々でのこしていくことが
いろんなことの解決に繋がるのではないかと思っています
わたしは愛と許しである
これをこのタイミングで知ることができてよかった
サムシンググレートはわたしをとおして作用する
わたしはサムシンググレートの一部だから
それを知っているから
だからこの新月のタイミングで一番祈りたい場所に行く事ができるのだと思っています
それを許されたことをありがたいと思うのです
慰霊の日
ああああっっっっというまに
夏至をすぎました
まだ陽極まった酵素も仕込んでないのに!
気持ちが大切だから遅れてもトロピカルフルーツ酵素しこみますし
気持ちが大事だから魔法植物の種まきもします
今日は70回目の沖縄の慰霊の日でした
この特集はとても凄まじくて
でも知る必要があるから
今だからこそそこで何が起きたのか知る必要があるから
沖縄戦デジタルアーカイブ
http://www.okinawatimes.co.jp/sengo70/
そして高橋先生のクラスでの前回の読書感想会のために書いたものを載せたいと思いました。
佐藤優さんの『世界史の極意』の読書会の感想文より