紐解かれていくことを記録する

いろんなことを教えてもらう毎日です
Namiさんプログラムのパナシアを受けたことで
さらに加速したように思います

前回書いたところのきれはしから
Twitterにメモしたものを
まとめようと思います


@kirigirisumimi: つまり今認識している自分とは他者を介して捉えている自分という存在だということ


@kirigirisumimi: じゃあ
本来の自分はどこにいる???


@kirigirisumimi: 本来の真の姿は意識されることなく
自己と他者は
互いの中に見出された鏡像を自己と勘違いした中でのコミニュケーションを行っている


✴︎この部分は半田広宣氏のシリウス革命より抜粋


@kirigirisumimi: 他者に受け入れられているという認識は
イコール
全宇宙に受け入れられているという認識になるのか

何故なら人は神の相似形だから
宇宙だから


@kirigirisumimi: すごいことに気づいたなうね




@kirigirisumimi: ならばわたしは他者を全て受け入れてみよう
他者の存在の根本を

ただここで今週の占いに書いてあった
出掛けるときに鍵をかけるということも必要なんだね



占いとはジーニーさんの今週の占いのことです星占い&幸せのヒント ジーニーの「助けてエンジェル」



@kirigirisumimi: なんていうか
受け入れることと
心に入れること?
上手く言えないけど
そういうことは違う気がするんだよね
でもそれと
心を開かないことも違う気がする
うーん

考えるよりやってみよう


@kirigirisumimi: ほんとの自分は
何を考えているの?

何を感じているの?
感じてる自分が自分??


@kirigirisumimi: 人から見えるが
ほんとの自分?


@kirigirisumimi: あー
受け入れることは
存在を認めることかもしれない

または存在を全肯定する

それと自分のなかに入れることは違うよね

全肯定するとひらく扉があるの


@kirigirisumimi: おりてきたと思うことも
考え

なのかしらね

でもね
それで誘導されてパカパカ扉が開いていろいろわかるようになって

それで自分が何を感じるのかっていうもう一ステップが大事なのかしらね


@kirigirisumimi: 感じるということは
自分を構成する粒子達がふるえること

でね
粒子は宇宙の構成成分なわけね

だから感じることは宇宙をふるわすていうことなわけね


@kirigirisumimi: 哲学とはロジックで男性性

感覚とは真反対な女性性

感覚でしか生きてこなかったわたしが
哲学を求め学ぶということは
男性性を受け入れるということで
ロジックと感覚が融合することが
すなわち男性性と女性性の融合

というのがきた

たーしーかーにー


@kirigirisumimi: イマイチ居心地がよくないのは

感覚全開で生きていないからか

それはイマイチ気持ちがよくないはずだねえ

女性性の解放だね


@kirigirisumimi: ずぅーとそうだったのか
感覚を解放出来てなかったからか

考えなくていい
感じなさい
てことか


@kirigirisumimi: むしろ女性性なのか


@kirigirisumimi: 大切なもの
大切なことは
自分のとても近く密接してある
恐れず疑わず
自分のすぐ近くを
探してみて


@kirigirisumimi: インナーセルフとは
多分感情のこと


✴︎これに気づいたのはとてもおおきいのです
なぜなら「人は自分が理解できるコトバに落とし込めたときに本当に解る」からなのです

ていうことに
このとき気づきました
英語はわからないけど日本語に翻訳したらわかるように
自分が理解できるコトバになったときはじめて分かりました


@kirigirisumimi: 上に繋がるときは
ワクワクして幸せで暖かいところで
受け入れようという雰囲気に満たされているとき
コトバがきけるとき


@kirigirisumimi: 上
というのは
つまりハイヤーセルフみたいなこと
潜在意識とも言ってるけど

それは多分自分の中にいる


✴︎神とか天使とかとも言います


@kirigirisumimi: 探して探して
自分の後頭部に出会う
みたいなこと
相対性理論みたいなこと

中にいる



✴︎共にいますと言われました
今日会いました
海王星だと言う性別を超えた物静かな発光している人でした



@kirigirisumimi: あとね
繋がるときはね

相手の本質のところを
全て受け入れたとき
なのかも


@kirigirisumimi: ああああああ!!!!!

相手の本質をそのまま受け入れるということは
すなわち自分の本質をそのまま受け入れるということなのか

だからか
だから繋がるのか
だから幸せで満ち足りるのか


✴︎感動しました


今必要なことは
多分自分を癒し愛し受け入れること
そのために自分の中にしっかり入ること


ハイヤーセルフが
不思議なのみものと不思議な羽衣をくれました






お見送りしたこと

11月になったー!

はやいーーー!!

 

ふと8月から時間が止まったように感じました

時空の乱れかしらねえ

でもそういえばこのことについて書いていなかったことを思い出したので

したためておこうと思い筆をとりました

 

 

8月5日の早朝に祖母が向こう側に旅立ちました

ふっとその時が戻ってきて

そこからの時間の経過に驚いたのでした

 

その前の週末からゴハンが食べれなくなりお水がのめなくなり

会いに行ったら死相が出ているのをみて驚いて

たまたまその日にお地蔵さまと遍照金剛さまとヴァイローチャナがよしよししてくれて

そのときの深い愛情に包まれる感覚に涙がでて

わたしもそういう存在であればよいって思ったので

そのときの感覚そのままに彼女をよしよししたら

死相は消え安心しました

 

でも水が飲めないのは続きちょっとそろそろもたなくなるのではないかと思って

その夜は施設に泊めてもらい一緒に夜を明かそうと思いました

 

祖母は子供と一緒の目線で遊んでくれてそれが嬉しいので子供のころはたくさんの時間を一緒に過ごしました

それと同時にとても勉強熱心で学ぶことが大好きでいろんな知識をたっくさん持っていたようです

それを人に教えることはせずに

ただただ謙虚に学び続けた人でした

手先も器用でわたしたちの服をたくさん縫ってくれました

 

もっと歳が近かったらきっととても仲良い友達になったのではないかと思います

 

わたしは初孫なのでとにかくかわいがってもらいました

大切にされた記憶がたくさんあります

 

なにか近くに居たくって

最後に味わうなら日本人だし美味しいだしの味がいいかなと

口にふくませてあげるために濃いだしをつくって持参し

自分のスケジュール的にここしかないというタイミングで泊まったら

なんと見送ることになりました

 

 

 

そのとき祖母に対してしたことは

身体が楽になることと恐怖を乗り越える誘導でした

 

呼吸が苦しそうだったので胸と背中に手を当てて『ゆき』をしながら彼女の呼吸にあわせて

息を吸うたびに楽になり

吐くたびに苦しさや不安が出て行くというふうに声をかけていました

 

12時前に圧倒的な睡魔がやってきたのでとりあえず身を任せて一度向こうに行って

きっとそれをもっとうまく行う方法を携えて帰ってきたようにおもいます

その時のことはあまりよく覚えていないけれど

その後の誘導はとてもうまくいったように思います

苦しそうだった息もだんだん楽になってきて表情もやわらかくなってきて

これならと

夜が明けたら帰ろうと思ってちょっとぼーっとしていたら

カッと息をすって息がとまりました

冗談かと思ってゆすっても呼んでももう息をすることはありませんでした

3時46分でした

 

やっとここでの学びを終えることが出来て

それを受け入れることが出来て本当に良かったとおもいます

 

 

 

人は誰しも自分の存在をただあるがままに受け入れてもらいたいという欲求を持っているということを

そして自分とそれ以外の宇宙に全てを委ねることができたときに次の扉を開けることができるのだということを

 

 

その日彼女とともにいることで

わたし(をとおした世界)が彼女をすべて受け入れることで

ここをはなれるためのきっかけになったのだと思います

 

それとともに

身内を亡くすということはとても辛いことですが

後悔を残すということでは

施設で寿命をむかえても誰かが最期を看取って旅立ったということはせめてもの救いになるのではないかと思います

 

 

 

 

 

 

彼女はわたしにたくさんのものを残してくれました

最期にほんとうに大きなギフトを置いて行ってくれました

 

今いるところでしっかりと見守っていてくれていることを感じます

 

 

わたしはわたしでよかった

わたしはここに存在していてよかった

 

というメッセージがきましたなう

 

 

 

 

 

 

 

 

内在を深めるということ

秋も深まり少しづつ紅葉も始まって

時の移り変わりを感じる今日この頃

昨日の満月もとても綺麗で

でもそれよりも天中を越えて傾き始めた月のあとから

とても素敵な星空が広がっていました

あんなに明るい月と星がいっぺんに見えることって

なかなかないんじゃないかなというくらい

とてもくっきりした星たちがこちらを見つめていました

 

全てに線を引き

執着を手放して離れるということをしています

そのなかで懐かしい人たちともふと会えたりしています

過去がたくさん戻ってきています

忘れていてなかったことにしてきた過去たちが

ふとした瞬間に戻ってくることはなんだかとても愛おしいことで

なかったことにしてきたものたちと仲直りして統合しているようです

 

 

『過去は消え去ったものでなく自分の中に続いている時間は過ぎ去っていないで保存している』

宇宙史(生命史)の流れの中に『自分』というものが乗っかっている

記憶が乗っかっている器に意識を向けること

その記憶の底で生きつづけている『生命』に心をむけること

記憶はそれ自体で存在する

即時的なものである

 

 

これは日曜日に哲学サロンのスピンオフ企画の半田広宣さんのセミナーで話されていたことです

 

 

セミナーにはたくさんの方が来ていておもしろかったです

興味津々の臨死体験している方とか占いの方とかヘミシンクの方とか

今ははじめましての輪に入れないもので

というより人との接し方がわからないから

遠くから眺めているだけでしたが

とてもよいエーテルに包まれていました

とても居心地がよかった

なにも気を使わなくてよくてとてもリラックスできました

話している内容が分かったわけではないのですが

わからなくてもそれでよくて

でも根底にある大いなる何かには触れているような

 

 

話の内容はみな同じことをいい方を変えて話しているという感覚です

 

セミナーについては自分のなかでもう少し消化してから書きたいと思います

 

 

シュタイナーのクラスでは結構出来るのですが

今回も上手に上と繋がりました

多分まだまだ初心者なのでその場のエーテルがとても大切なようです

セミナーで質疑応答が始まった瞬間に空気がかわってそれはやさしいあたたかいものになりました

 

内在を深めるということの大切さ

全てを自分がつくったものという感覚で徹底的に内在化していうことで

その先で外在世界を作ったものに出会う

 

一見矛盾しているようにも思えるのですが

自分のなかを突き詰めて詰めていくことで

入っていくことで外に出るというクラインの壺みたいなもの

 

そしてここのところずっと疑問だった

『なぜわたしはもう二度としないと思った量産の仕事をしているのか』

ということに対する答えがきました

それは

 

つながるためにやっている

つくることが内在を深めるためのツール

手を動かすことをしなさい

徹底的に

それが内在に深く入るためのツールだから

 

 

答えは自分のなかにある

ということはここのところずっと思っていたことで

それしか先に行く方法はないということもわかっていたことで

その方法がわからなかったのです

 

 

 

現在の認識のレベルで行きつけるところまで行くしか

次の認識のレベルに行くことはできない

自分で考えて

自分のアタマで考えて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋分の晴れたたかい空のした

あっというまに秋分です

今日は中庸

明日から少しづつ陰が多くなってきます

 

わたしの少し苦手な季節

 

そういうときはじっと自分との対話をするのがよいと心得ていますので

今のように醜くおぞましいものが出てきたとしても

それを見つめ受け入れることをしていこうと思います

 

ってところまで書いて

二度目のデータとぶ現象が起こったので

書く内容を少し変えてみようと思います

ああびっくりしたー

 

自分で考えるという事に向き合おうと思っています

ついつい誰かの書いた事話した事を学ぶ事ばかりしがちになるますが

でも自分はどう思うのか考えるのか

という思考の方向にしていこうと思います

それが合っている間違っているとかでなく

 

宇宙のなりたちとか

なぜここに存在しているとか

世界の在り様とか

神様とか愛とか

宗教とか哲学とか物理学とか

 

そういう自分のなかのロールプレイング的なことをしばらくここでアウトプットしながらやってみよう

ということになりました

データ2回とんだから

 

ではここのところの安保法案にむけてという意味も含めて

ここからやってみましょう

 

 

 

世界の在り様とは

 

 

 

安保法案に関していえば賛成とか反対とかを越えて

『そんな旧時代のことをまたなんで今???』

反対するのもおもしろくなっちゃう程

 

 

ない

 

 

少し前まで原発反対のデモをみて

行かなきゃってどきどきしていたけど

でも反対を叫ぶことはしないというマザーテレサの考えにそのとおりと思うので

デモをしている人達を尊敬しているけれど

わたしは行かない

みんなで集まって声をあげるということ(合唱なんかも含めて)がちょっと苦手でもあるのです

なぜか鳥肌が立ってしまう

多分

みんなが同じ方を向いて声をあげることが怖いのだと思うのです

それがどんな内容だったとしても

 

 

わたしが生きている世界

 

敵と味方がない

命は等しく尊重される

自然を敬いともに暮らす

 

全て命あるものは同じ時代にここに存在している仲間で

ふれあうところには愛がある

袖振りあうも他生の縁

ふれあった命には全力の愛

 

 

人は自然を調伏できるって思って頑張ってきたのが20世紀までの自然科学で

たしかにたくさんの命は救われてとても便利な世の中になったのだけど

でもその上に立って支配することはできない

どんなに高い堤防も津波や氾濫を食い止める事は出来ない

 

だったら共に生きたらよくて

 

生かされている

生きている

 

決してひとりで生きている訳でなくって

いろんな存在から生かされている

 

その生かされている存在に愛をもって接すること

 

今朝電車でとなりに座ってたご夫人にも

そこにいる虫にも

食卓にあがってくれた動物たちにも

 

 

 

組織で考えたら悪も善もある

組織は人がつくったものであるけれど

でも出来てしまえば一人であるく

 

 

 

外国が怖いって思う

でもひとりひとりの人は怖くない

誰かから愛されてこの世に産まれた存在で

自分と同じように誰かから愛されて誰かを愛して必死に生きている

文化や話す言葉がちがうだけ

 

 

政府が憎いって思う

でもひとりひとりの人は憎くない

かわいそうにって思うけど

でもそれもその人が選んだことだからそれでいいんじゃあないかって思う

次にあなたに投票しないだけで

 

罪を憎んで人を憎まず

 

ということをどこまでできるか

なのかな

 

 

二極化の時代とよく言われますが

本当にそう思う

自分とちがうなと思ったら

愛を持ってそっと離れるだけ

 

 

なんていうか

わたしはあなたたちが幸せでいるならそれでいいそれがいい

それはわたしが望んだかたちではないけれど

でも願いは叶ったんだとおもう

ただそこにわたしが居ないだけ

思いを伝えられなかっただけ

 

遠くにいくけどいつも大好きでいつも笑っていてと願うことをずっとずっと続ける

 

そんなある秋分の一日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20150716

台風12号が西日本を横断しようとする

国会で安保がおかしなことになる

蟹座の新月の今日

日付かわって昨日

 

 

とどのつまり

愛と許しとは

おかあさんのことだね

Mother

 

 

人はどれだけ科学や技術を発展させたところで

自然の前にはなすすべがないのだよ

 

 

勝ちとか負けとか

がんばっているとか

誠意をみせているとか

 

 

そういう問題ではなくって

 

 

対抗しようとか征服しようとか克服しようとか

そういう発想じゃなくて

 

ただただ母なる地球の上で生きている以上

畏敬の念をもって

共に生きることしかできないのだよ

 

 

こんな簡単なこと

 

 

敬い愛し受け入れあい

 

 

だれも悪くないのね

 

 

ただ大地と共に生きればいいだけ

 

 

イチエフに行ってきました

 

 

なんでだろう

なんであそこにわたしがいたんだろう

って

とても不思議だった

あんなに放射能が怖かったのに

爆発した原発を震えながらみていたのに

あともすふぉーぴーすはありえないと思っているのに

 

6号線通るときいつも不思議だった

不思議だけどいつも祈っていた

 

 

すぐそこにあのとき爆発した原子炉建屋があった

津波が押し寄せていた防波堤がそこにあった

遮水壁が汚染水タンクがアルプスが免震棟が

 

 

わたしの目的は果たせたと思う

 

 

全てを受け入れること

愛と許しをそこに置いてくること

おおかみこどものおかあさんの唄が助けてくれた

 

 

帰りのバスで

帰り道コンビ二寄ってアイス買っていい?って言ったとき

涙がでた

 

 

考えよう

閉じた心でみたことを

今日を少しづつひもといて

 

 

わたしはおかあさんになろう

 

 

 

 

 

 

 

許されるということ

どんどん夏がはびこってきて 

きっと台風が行ったらあとからわくわくが充満するんだろうなあ

ちょうど新月明けくらいになるのだろうか

 

そうそう次の新月もこれまたパワフルなものみたいでありがたいです

ちょうど新月の時間に願いを込めることが出来るのは

もはや計らいとしか思えないのです

 

そんななか『許される』を学びました

自分のアホさ加減にほとほと嫌になって

もう人を止めようともう人との関わりを止めて静かに隠れて暮らそうって本当に思ってでもそれでも悲しくて悲しくて

全てが悲しかった

悲しいことばっかりだって思いました

失うばっかり

しかも自分のしたことで自分が100%いけないことで

 

 

でも助けがきて許されました

 

まるで冷たくて暗くて寒い海から引き上げられて

あたたかい毛布にくるまれて抱きしめられてるみたいでした

 

そこで気づきました

 

許されることは愛されることと同じくらいの喜びだということ

わたしは自分を全く許していないこと

いろんなことを許していないこと

そして許されたければ自分が自分を許す必要があること

 

 

そう愛されたければまず自分自身を愛することと同じで

許されたければまず自分を許すことなのだとわかりました

 

 

 

起きたことはそれとしてきちんと見ること

それを人のせいにせずにありのままを受け入れること

原因を考えること

反省して次にしないこと

そして謝ること

 

 

 

それと自分を責めて許さないこととは違うのだということです

 

 

 

もうひとつ

助けてくれた人がしてくれたように

自分も誰かの助けになろうと

誰かの怒りをそっと納めて許せるように促すことが出来るようになろうと

 

 

 

 

シュタイナーは『内面への旅』のなかでこういいます

 

私たちの活動は、こうして絶えず宇宙に放出され、宇宙に移されていきます。

中略

私たちの存在全体には、秘儀とも言えるような働きがあるのです。実際、人間の働きには、基本的に秘儀があって、知性では把握できません。人間の魂はこの働きを信じ、それに帰依するしかないのですが、しかしそれは真実の働きです。

人間が環境へ放射できるものは、はっきりと二つの部分に分かれ、宇宙の営みは、一方の霊聴、霊的合一、霊視の部分を頼りにし、この部分を受容し、吸収します。しかしもう一方は、吸収されずに投げ返されます。

中略

ではこの部分(投げ返されたもの)はどれほど長い間立ち止まり続けるのでしょうか。人間がやってきて、みずからの放射によってそれを根絶してしまうまでです。

それをみずから放射した人間こそが、宇宙が拒んだこの放射を根絶できるのです。

中略

宇宙は正しく思考し、美しく感じ、道徳的に善なる事柄だけを受容するのですから。

そうでないものは、すべて退けられるのです。これが秘儀なのです。

 

 

 

 

心からの感情や真善美は宇宙のエネルギーになります

そうでないものの放射については自分の思考、感情、意志(行動)にて回収する必要があるということですね

自分の行動のありのままを受け入れて判断し反省することは

だから必要なのですね

 

 

 

人はどこに行くときもどこにおいてもその人の精妙な影をあとに残すとシュタイナーは言います

自分自身が愛と許しであることが

真善美であることが

その影を行く先々でのこしていくことが

いろんなことの解決に繋がるのではないかと思っています

 

 

わたしは愛と許しである

 

 

これをこのタイミングで知ることができてよかった

 

 

サムシンググレートはわたしをとおして作用する

わたしはサムシンググレートの一部だから

それを知っているから

だからこの新月のタイミングで一番祈りたい場所に行く事ができるのだと思っています

 

 

それを許されたことをありがたいと思うのです

 

 

 

 

 

 

 

慰霊の日

ああああっっっっというまに

夏至をすぎました

まだ陽極まった酵素も仕込んでないのに!

気持ちが大切だから遅れてもトロピカルフルーツ酵素しこみますし

気持ちが大事だから魔法植物の種まきもします

 

 

今日は70回目の沖縄の慰霊の日でした

この特集はとても凄まじくて

でも知る必要があるから

今だからこそそこで何が起きたのか知る必要があるから

 

沖縄戦デジタルアーカイブ
http://www.okinawatimes.co.jp/sengo70/

 

 

そして高橋先生のクラスでの前回の読書感想会のために書いたものを載せたいと思いました。

 

佐藤優さんの『世界史の極意』の読書会の感想文より

 

p84~87
イギリスの歴史教科書に学ぶ
『帝国の衝撃』
イギリスの帝国主義の「失敗の研究」を11歳の子どもも学習の中でしている
帝国主義による植民地支配は世界中に災厄をもたらし憎しみを残した
なぜイギリスは誤ってしまったのかという一見『自虐歴史』とも取れそうな内容ですが
先輩方がとった政策や主義がなぜ失敗したのかということを通して今後のイギリスのあり方を構想することを教えようとしている
自らの弱さを自覚した上で新しい時代への対応を模索している
 
多分3月17日あたりの新聞に乗っていたハフィントンポストの記事のコラムで
ドイツが何故脱原発に向かうのかということの中で
ナチス政権が自然科学を悪用したという自国の歴史を国民がふまえているから
そういうことへの危惧が強い。
いいもの、という思い込みだけで進むことへの危惧感を国民全体が持っていること
 
という記述をみて
 
先の戦争に対して上のイギリスの教科書ではないけれど
各人が事実に向き合うことで、自分の先輩達が何をしたのか
それが世界にどのような影響を与えたのかということを見つめ考え反省し
これからの世界に向けて自分はどう考えるのか、ということが
個人のレベルでできているのだと思った。
 
要するに物事を判断するときのベースの考え方を幼い頃から植え付けているということ
 
今となってはどこまで正しい事実としての状況があったのかがどこまで分かるのかが疑問だが
事実として起こしたこと、起きたことを冷静に客観的に考え
自分ならどうするのかということを考えなければいけない
 
出来事は出来事としてフラットに捉える
こと
個人の主観としてのよいか悪いかという判断はひとまず脇に置いておいて、起きたこと、起こしたことを冷静にみること
そしてそれが与えた影響を自分でよく考えること
 
日本人は、わたしだけかもしれないけれど、どこかで自分たち国民も被害者だと思ってはいないか
陸軍とか政府、思想家たちが洗脳して、無垢なわたしたちはそれに抗うことができずにこうなってしまったと自分の中での責任みたいなことに向き合わずにいてしまっては居ないか
他人事になってはいないか
結局はその他人事みたいなものが
一部の人の暴走を許し
取り返しのつかないことになってしまうのではないかという大きな危惧を抱いた
 
『自らの手がもうすでに汚れているという自覚をもつ』こと