共有して現実にするために

とても久しぶりにあけた方舟

 

タイトルの箱船を『方舟』にかえてみました

 

わーい♡

 

ひとりでみる体験は夢

 

でもそれを誰かと何かと共有することで現実となる

結びつくこと

 

生きてここに居ることを実感するためにね

 

太陽として内面での核融合を実感するためにね

 

感情を感じるためにね

 

書こうときめた!

デミアン

大変ご無沙汰になっておるこちら

アウトプットしたいってびっくりするくらい思えなかったのです

ハイ。。。

 

 

最近あったあんなこともこんなこともいろいろですが

先日読み終わったヘルマンヘッセの『デミアン』についてです

 

 

デミアン (新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)

 

 

なぜこの本を読んだかというとですね

シュタイナークラスの高橋先生がこの本をとても大切にしていて

最近何度もこの本についてのお話があったからで

 

 

先生がこの本に出会ったのは戦時中12歳のとき

特攻に行ったいとこのかたみとしてもらったそうです

先生はこの本をポケットにいれて何度も何度も読み返したそうです

 

そう聞いては読まないわけにはいかないのです

 

古典系、物語系を最近避けていたのもあったので

ここは良い機会として手に取りました

 

 

やはり必然なのだなと

 

 

哲学サロンでも

 

たまごの中のヒナが孵るとき

ヒナはたまごの内側からこつこつと殻をたたく

それに呼応して親鳥も外側からこつこつと殻をたたく

そして殻を割ってヒナどりは外の世界に出てくるのだ

 

転じて

その人に何かのタイミングが来たときには外側からも援助がやってくる

 

 

っていうお話を何度もされていましたが

その元ネタはこの物語だそうです。



あらすじは

シンクレールという額にカインの印を持った少年が迷いながらも成長していくお話しで

同じ印を持った一種独特な年上のデミアンという導き手と

真の自己を求める物語です


生まれるための不安や迷い悩みの中から

真理をみつける事で殻を破り

楽園でのひと時をすごし

巣立ちを迎える



みつけた真理はとても心を温めました


190ページより



各人にそれぞれ一つの役目が存在するが、だれにとっても、自分で選んだり書き改めたり任意に管理してよいような役目は存在しない、ということを悟ったのだった。


〜中略〜 


目覚めた人間にとっては、自分自身をさがし、自己の腹を固め、どこに達しようと意に介せず、自己の道を探って進む、という一事以外にぜんぜんなんらの義務も存しなかった。



各人にとっての本当の天職は

自分自身に達するというただ一事あるのみだった

肝心なのは、任意な運命ではなくて、自己を見いだし、それを完全にくじけずに生き抜くことだった。


以上引用


シンクレールは辿り着きました



 そしてこれは少し前にわたしの中身が教えてくれたことと同じニュアンスのことでした



中身はこういいました


あなたがあなたを生きることだ


空にちからづよく伸びていくジャックの豆の木みたいなイメージのものだ


全ての出来事は可能性で何が起きてもいい


でもそれは豆の木に沿うツタのようなもの

望むことが叶うことは些細なこと



あなたはどこに辿り着いてもよいのだから


それが自分自身を生きるということ



この二つのメッセージがわたしからチカラを抜きました

受け身であることや運命に身をまかせるとはちょっと違う

だけど

ゆっくり静かに仄かに暗いところを

深淵にむけて落ちてゆくみたいなことを感じています



仄かにあたたかい安心で幸せな気持ちでいます



続けて

アマゾンさんがセット売りしてきた

ヘッセの『シッダールタ』を読んでいます


なかなかすごい素晴らしいところです



早く春こーい










 

 

 

惑星と元素とトラウマの発見の兆し

以前半田広宣さんの講演を聞いた時だったと思うけれど

 

新しい惑星や元素の発見は

人の意識の拡大が起きたことを表す

 

表現はうる覚えなのですがそんなニュアンスのお話をききまして

へええええ

って思ったのですが!!!

 

 

発見の兆しですね

 

新しい元素も惑星も

 

 

 

2016年ってすごい

 

(´-`).。oO(ニビルかなあ)

 

 

 

土星より外側は

人の無意識の領域ということなので

今度の発見されたかもしれない惑星は

ずっとずっと遠くを旅する惑星だから

ひとの無意識の領域は

ぐっと広がるということなのでしょう

 

 

 

なんにしてもいまここはカオスとおもうのです

このカオスのなかから何がうまれるのか

 

 

 

悪の沼から可憐な睡蓮は咲くのか否か

 

 

 

 

 

この前『象気功』さんのこちらの記事を読んでいて

神さまには正も邪もないと

一人一人の人間は絶対の孤独な存在なのであると

 

なかなかのインパクトのある記事で

でもものすごくしっくりきたのです

 

 

最初が最後で最後が最初で過去が未来で未来が過去である

 

 

 

 

わたしの世界にはわたししかいなくって

出会う全ての人はパラレルの世界に存在していて

交わったり離れたりしているわけで

だからわたしが誰かのパラレルな世界を救えるはずもなく

誰かがわたしの世界を救えるはずもなく

わたしの世界を救えるのはわたししかいなくって

誰かの世界を救えるのはその誰かしかいなくって

それができて初めて誰かは誰かの世界をもしかしたら救うことができるかもしれないできないかもしれない

 

そしてこうして存在している以上は

自分がよいと思う生き方でこの世界を全うしていくしかないわけで

どれがどんな方法なのかはそれぞれ違って

でもこのパラレルワールドの中で交わった他の世界にたいしてできることといえば

それは自分の世界を全力で生き切ることで

それがもしかしたらそれが何かの助けとなりうるかもしれなくて

でも役にたっているかどうかを判断できるのは自分ではない

自分はただ淡々と自分の世界を作り生きることしかできない

その中で無条件に誰かを認め受け入れることで

自分の世界がひろがりそして誰かの助けになるのかもしれない

でも大切なのは自分をいきること

それが繰り返され

螺旋状態となって上昇していくのだろうきっと

最初が最後で最後が最初だ

 

 

 

 

世界のためにトラウマがある

とも言える気がしています

その障害があるから気づくことができることがあるように思います

ずっとうっすら感じていたこの障害とついに決めて向き合うことにして行動することで

新しい扉と出会うことができるかもしれないこと

それも自分の世界のためにできること

 

 

 

ずっと迷っていたこの本をついに読んでおります

 

 

 

作者の大嶋さんというかたの文章がすきなのです

ブログも毎回とても素晴らしいです

とても優しくて希望をもつことができる文章なのです

今半分くらい読んだのだけれど素晴らしいご本だと思っています

これを読んで方法を手に入れてわたしがどうなるかがとても楽しみです

 

 

凪のある毎日をおくってみたいです

 

 

向き合う準備ができたから

読むことができているのです

理解することができる

 

 

今回もその必然をひしひしと感じています

 

 

 

 

神さまは確かに不条理でびっくりするような恐ろしいことを起こす

悪も起こすが善も起こす

なぜならば

神様には善悪という基準はないから

究極的には善も悪も一緒だから

ただそれを起こす

 

それを善だ悪だと判断するのは受け入れるこちらで

その行為自体に善悪はない

 

 

全ては受け入れる側の問題であるというのは

人と人との関係がそうである以上

人と神ともそうであるのです

 

 

 

上の如く下も然り

 

 

 

ただ行為のみが存在する

 

 

 

 

 

わたしの世界

いや

わたしの宇宙で

今こうして惑星が発見された兆しがあります

それは蝶に変容したという

意識の拡大が起きたという

証の一つであると思います

 

 

 

 

 

あなたの宇宙でのその兆しはどんなかたちですか

 

 

 

 

 

さて

これからシュタイナーの講義です

この時間が何よりのご褒美☆

 

 

 

 

姿勢を改めて読書に励む

もうすぐ今年最初の新月が起こります

枕の位置を天窓の下に動かしてから

星や月が今まで以上に生活に彩りを添えてくれる様になりました

 

 

太陽系の惑星たちが

こんなに明るく夜空にいるって今まで知らなかった

 

 

 

今は毎日夜中明け方に目をさますと

決まって明るく輝く木星がこっちをみています

 

本当に明るくて透明な光です

 

この光をサードアイで捉えることを最近の楽しみとしています

 

月も太陽の光もサードアイで捉えてみるのです

 

何の役にたつのかはわからないのだけれど

それをすることが大事ということなので

 

この経過観察は今後また!

 

 



そんな中今日は今年最初の横浜のシュタイナーのクラスでした

 

毎回ハッとしつづけているので今日もまたいつものとおりなのですが

でもちょっとしたもやっとすることが解決できた感があるのでここに記します

 

 

 

今日は『オカルト的な読み方と聴き方』という新しいテキストに入る前に年末から残っていた『パウロの書簡』という新約聖書の感想文の会をしていました

 

最後に先生の感想としてパウロと今読んでいるバガヴァット=ギーターを合わせたお話がありました

 

読み途中な上にちょっとわからなくなっていたので

渡りに船といったかんじでした

 

もはや答えと言ってしまっても過言ではないことを教わってしまったので書いてしまいますが

 

 

この世とは無常の世界

あの世とは不滅の世界

 

クリシュナはアルジュナ

この世でいくら苦しんでも得をつんだとしても全ては仮の世界の出来事である

問題はその仮の世界で悪戦苦闘している中で不滅の世界であるあの世との縁が出来ること

それにいつか出会ってくれることを待っている

 

 

 

尊敬する親族を殺したくないというアルジュナ

『殺す』という結果ではなく

本来するべく戦うという行為にのみ意味があるというクリシュナ

 

 

 

ついつい自分の持っている常識を裁判官にして

自分の方が高いところに立ってこの本を判断しちゃっていたのです

 

でもそういう読み方はこのような霊的なことを扱うものを読むときの姿勢としては意味がないとシュタイナーは言います

 

 

 

オカルト的な読み方と聴き方から抜粋します

 

 

 

知的な教育を受けた現代人は書物の内容を評価する上で

自分以上に優れた判定者はいないと思っています

あらかじめそう思い込んでいるとしたらその人は書物の立場に従って新しい別の評価の仕方を学ぼうとするでしょうか

自分は優れていると思っている以上自分の立場を変える気なぞ初めからありません

ですから書物の新しい意図や方向が感じ取れません

 

真の霊学書を通して世界に対する別の感じ方

別の評価の仕方を持つ様になることが

霊学を学ぶための根幹神経になります

 



 

判断せずにただその書物との縁をつくること

それをしてはじめて

書いてある内容について

わかるわからないということが出てくる

 

そうシュタイナーは言います

 

 

確かにそうだなと思ったのです

 

ギーターを読むときの姿勢に謙虚さがなかったなと

そして最近の読書が楽しくなくなっている原因もここにあるのではと思いました

 

ずっとフィクションしか読んでこなかったのですが

最近はそうではないものばかり読んでいます

でも自分の判断基準でしか関わっていないので

本をよむことがおもしろいって思えなくなっていたのだと

 

 

 

 

ということで

姿勢をあたらめ

バガヴァット=ギーターとの縁をつくっていきたいと思います

 

 

 

ギーターを理解できるときがやってきた時

ギーターに出会う

 

 

 

ということのようです

 

 



 

今究極の利己主義が世界を変えるって考えています

でもどうしてもそれがうまく書けない

 

書いている途中から

自分がわからなくなってしまうのです

 

でも

わたしが思うそれは確実に万人にはあてはまらないこと

 

っていうかもしかしたら

わたし以外だれにもあてはまらないことかもしれない

 

でも

今のわたしはそうであると考えています

 

ずっと美徳とされていたように自己を滅して他人のために何かをしてもこの先には行けない


全ての答えは自分の中にあるから


だから徹底的に利己主義であることが必要に思うのです



自分が自分のためにすること

自分に正直になること

自分に光をあてること

深淵を目指すこと

それでしかこの壁は破れない



でももしかしたら壁を超えることが究極的に誰かのためになるかもしれない

わからない

何故なら結果ではなく行為だけが大事だから

 

 

いつか腑に落ちた時

このことはまた

 

 


 

深淵はこのテキストにも出てきています

 

なんとまあ!!!


 

 

『内面への旅』 のテキストは

読み返せばそこにいつも求めるものがあります

これを理解できる時が来た

だから高橋先生に会えたのだなと思います



 

ありのままに受け取ります




 

 

 

深淵

暖かい冬です

この穏やかさが怖くもあるのですが
これは多分大切な必要なことなのでしょう
 
 
そんな中で今最もアツい
 
 
「深淵」についてです
 
 
最近のテーマであります
 
 
 
だから昨日ひとさんからこの言葉がいきなり出てきたとき本当に驚きました
何故わかるのか
さすがや
 
 
 
なので一度考えてみたいとおもいます
 
 
 
言われたこととは
 
 
 
深淵を覗こうとする者は
深淵からも覗かれる
 
 
 
これは調べたところ
ニーチェの言葉で
 
 
 
 
『怪物と戦う者は、自分も怪物にならないよう注意せよ。
長く深い深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む。』
(「善悪の彼岸」ニーチェ箴言と間奏146」)
 
 
この前高橋先生と佐藤優さんは
最も深い深淵にこそ神は宿る
 
それは
人間の底辺のそのまた底辺
一番神から繋がらなそうなところに神は降りてくる
ということだと
 
地獄の底に導かれてゆく
そこからしか神秘の扉はひらかない
絶望からしかうまれない
 
 
と話しました
 
 
ひとさんは
深淵に魅入られるなといいます
 
 
 
王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた
 
そして
 
命は闇の中にまたたく光だ
 
 
 
 
てゆうか深淵とは何かなあ
 
 
 
深淵(しんえん)とは、深い淵や水の深く淀んだ場所を指す語。フレッド・ゲティングズ著『悪魔の辞典』によると、悪魔学においては「進化の終着点」を意味し、すなわち人間の行き着く最後の未来を意味する。これから連想が進み、ヨハネの黙示録アバドンといったイメージになった。カバラの学者は深淵をマサク・マヴディルと表現し、落伍者の行き着く場所と解釈している。wikiより
 
 
 
ひとさんは多分
死のその先みたいなイメージとしていっているのだろうなと思うのです
 
 
それに魅入られそれを求めることは
生きることを放棄することに繋がると
 
 
 
 
確かにそれもそうともおもうのです
 
 
 
 
なんとなくわたしはこう考えているようです
 
 
 
 
深淵とは
 
善悪も虚無も生死も幸福も愛も喜びも絶望も恐怖も
 
そういうものを全てごた混ぜにしたカオスの
 
その最も底のことなのではないかと
 
 
 
それはある意味では自我というものを持ってしまった人間の
意識の一番底のことなのでは
 
 
 
 
深淵を覗くことで向こうから覗き返してくるものとは
本来の自己
またの言い方だと第二の自己
なのではないでしょうか
 
魅入られるものも魅入るものも自分なのではないか
だから全ては自分の中にあるのではないのかなと
 
 
 
 
 
そこに差し込む光は神であり
 
神は命の煌めきであり
 
叡智の光だと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今なんとなくこの気候とリンクするかの如くわたしが穏やかなのです
 
 
 
それは善悪という二元の罠のことがわかったようなきがすることと
 
ありのままの自分自身を信じることが出来るようになったきがすること
 
それが大きいような気がします
 
 
 
どんなに流れがはやくなろうとも
それが滅びを伴う変容であろうとも
そのために全てを失うことが起ころうとも
 
それを受け入れること
その過程にこそ意味があるということ
 
 
そして
 
その道の途中ではあくまでも中庸を手放さないということを
 
全ては自分の中にあるということを
 
 
 
 
 
 
しかし何故わたしはこんな迷宮みたいなところに入り込んでしまったのだろうか
 
 
 
 
 
 

そして2016年がはじまった

よい天気です

穏やか

 

冬至が大晦日で立春が新年なので

今はその合間の空白期間ですが

でも年号が変わったので心機一転してみるもよいのではと思いまして

 

実際自分の中は随分変わっていて

ダウンロードが早くなってきているきがします

蝶になったから♪

 



そんな昨晩から今朝にかけての情報整理をしておきたいと思います

 

そうそう

昨日紅白歌合戦がテレビでやっていたのでちらっと見てみたら

今の傾向についてなるほどがでてきました

 

何故大人数のグループなのかって

 

力のある一人よりも

たくさんいた方がエネルギーがすごいから

そのほうがうごかせるから

 

 

まあこういうことが気になって仕方ないので仕方ないけど

 

これまではたくさん集まって同じことをさせるってことがずっと大事だったんだなーって思った

 


 

そして新しい朝の光の中にいるときに

 


 意図は変えられる

だから

いろんな儀式に意識して参加しなさい

なにごともそうしなさい

求められてる意図に敏感になりなさい

 

 

太陽

そういう光を

サードアイに当てなさい

それが近道

ただそれをしたらよい

どうなるかはなってからのお楽しみだ



そういうエネルギーを

ちょっとだけ動かして

どんなに小さな小石でも

流れを大きく変えることが出来るように


そうして世界の封印を解く手伝いをしなさい



封印を解きなさい

新しい世界は

そこからはじまる


遍く照らす



最後に

昨日龍神さまの前にいたときのメッセージを



善も悪もない
ただ行為があるのみ
そして全ては決まっている



阿修羅道が定めなら
進むしかない
でも進まないという方法もある
どちらをとるかは
自由意志


たとえそれが本来の定め
魂の天命であったなら



わたしは誰で何のためにここにいるのか

多分それは言葉にはならないことで



わたしという者は
天使でもあるし邪神でもある


でもそれは
わたしの判断するところではない
何故ならわたしは今本当の道を生きているから
ただそれをすることだから
善か悪かの判断は
わたしの範疇ではない


何故なら善も悪もひとつのものの二元が現れただけだから
世界がそれを悪としても
わたしの中からの行為は
それによってなんら変わりはない



それでも祈る
全ての生きとし生けるものが幸せであることを
願い事が叶うことを
傷を癒し護られていることを





2015年の最後に寄せて

早いものであと6時間で今年も終わりです

 

バガヴァットギーターはまだ読み途中だけど

どうしても気になってねじまき鳥に手を出しているけど

って

あー書いていて気づいてしまった今

今日ここに記したい内容と完全にリンクしていたんだ

 

 

早速

2015年の最後に寄せて

サナギから出てきた蝶のお話をしたいと思います

 

 

 

全てわたしのとても個人的感覚によるものです

 

 

 

この一連の流れの準備段階になるのでしょうか

19日にシュタイナークラスの高橋巖先生と元外務省主席分析官の佐藤優さんの対談をききにいきました

そのときに出てきた言葉で『最も深い深淵、そこに神が宿る』というものがありました

とても心に残る言葉でした

 

 

自分がおかしいって気づいたのは23日でした

重たくてズブズブ沈んていく感じ

でも苦しくない無感覚の中

何かがおかしいからはじまりました

なのでヴァイローチャナにききました

 

 

21日の日本時間22時から世界中で合わせてジョンレノンの『Happy Christmas』と『We are the World』を歌い

世界のために祈るというイベントに参加したことでした多分

 

始めた人がこれをとても純粋に始めたのはわかっているのですが

どこかでおかしな者が入ってきた

純粋な祈りはものすごいエネルギーで

それはどんなひとでもわかっていればそれを操ることができるということ

そしてそこからはどこにでも入ることが出来るということ

そしてわたしにも入ってきたということ

そのときわたしは大きな節目のお誕生日を迎えていてしかも冬至のエネルギーを満載にしていて

ヴァンパイヤはそれを貪った多分

 

 

それに気づいたのは23日

 

でもこれはこの時点での最終の変容を促すキッカケでした

すべて計画してあったであろう出来事だったのです

 

純粋なものであればあるほど

使いやすい

意図を変えてしまいやすい

それはとても簡単なことだ

 

祈りはエネルギーだ

ともに祈るということの計り知れないエネルギー

 

 

本来人が深淵に向かう旅は一人であるくもの

一人で歩く

一人で探す

神は寄り添ってはいるけれど

そこにたどり着くまでは孤独と向き合わねばならない

なぜなら

 

 

『神は深淵に差し込む光』だ

 

与えられるものではなく

 

自分が出会うものだから

 

ともに祈ることはとても大切なことなのだけれど

それでは自分でコントロールすることはできないのだと気づくための

この歌の出来事でした

 

それと同時に

今年出会ったナオミさんという素敵な山のガイドをされているかたのブログ

『封印』について書かれていました

 

 

いろんなことが繋がってもつれた糸がはらはら解けていきました

 

 

そこではたと出てきたことがあります

 

『愛』

 

みんなが愛だと言います

キリスト教に始まり

いろんなスピリチュアル的なところ

先輩

 

みんな

『愛』

だと

 

 

みんなが言うこと

 

 

 

ずっと実は違和感だった

『愛』ってなんだ

 

 

 

 

いろんなことが崩れていく

そして何かあたらしい

でもずっとここにいた何者かが出てくるこの感覚

あるものは壊れあるものは飛び出し

繋がる

 

 

2014年の冬至新月からはじまった変容のための最終の旅は

2015年のクリスマスの満月で新しい扉を開けました

 

 

新しい世界がはじまりました

 

 

陽の気が増え始める

冬至という陰の深淵で産まれた子は

増えていく陽気とともに育った

 

そのときと同じ様に

新しい世界を生きはじめました

 

 

 

もうひとつ今年のわたしがしていたことは

この土地との結びつきを作り深めることでした

深いグラウンディング

 

祖母が鬼籍に入ったこともそれを助ける要因でしたし

今年の前半にしていたアルバイトもそのためでした

 

 

 

この土地にいる神様や龍たちとのご縁

 

 

 

それも完成したようです

 

 

 

 

今日の大晦日の詣の最後に

わたしの産土神社にて偶然に(?)大祓が始まりました

祝詞を渡され

宮司さんと参加した方々とともに読み始めてはたと気づきました

 

 

 

これは土地の神様の封印の呪文だと

 

 

わたしは祝詞を封じ

どこかに行こうとするおおきなエネルギーをこの大地とこの神様に戻し

そして大祓の人形にわたし自身をのせて

海に続く川に流すことで

土地の神様に奉納してきました

 

 

 

封印を解いていきます多分

 

 

 

そう村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』も封印をとく物語です

 

 

 

 

 

これから立春まで調整が続きます

 

 

 

 

そんなことを思っているときにいつも読んでいるブログ

こんな記事に会いました

 

自分の天命を見つけたことを示す10の兆候

 

 

 

もうひとつ

 

あなたは「だれ」ですか?

あなたは「なにをしに」ここにいるのですが?

そして

あなたはほんとうは「だれなのですか」?

 

 

それを探すために

 

 

 

 

最も深い深淵へ

 

 

 

 

でもそれは決して孤独ではないのです

もうわたしは自分と自分の運命を完全に信頼することができたから

一人ではないから

 

 

 

 

 

新しい世界

 

新しい年

 

生まれたての蝶はこれから何をみつけるのでしょうか