姿勢を改めて読書に励む

もうすぐ今年最初の新月が起こります

枕の位置を天窓の下に動かしてから

星や月が今まで以上に生活に彩りを添えてくれる様になりました

 

 

太陽系の惑星たちが

こんなに明るく夜空にいるって今まで知らなかった

 

 

 

今は毎日夜中明け方に目をさますと

決まって明るく輝く木星がこっちをみています

 

本当に明るくて透明な光です

 

この光をサードアイで捉えることを最近の楽しみとしています

 

月も太陽の光もサードアイで捉えてみるのです

 

何の役にたつのかはわからないのだけれど

それをすることが大事ということなので

 

この経過観察は今後また!

 

 



そんな中今日は今年最初の横浜のシュタイナーのクラスでした

 

毎回ハッとしつづけているので今日もまたいつものとおりなのですが

でもちょっとしたもやっとすることが解決できた感があるのでここに記します

 

 

 

今日は『オカルト的な読み方と聴き方』という新しいテキストに入る前に年末から残っていた『パウロの書簡』という新約聖書の感想文の会をしていました

 

最後に先生の感想としてパウロと今読んでいるバガヴァット=ギーターを合わせたお話がありました

 

読み途中な上にちょっとわからなくなっていたので

渡りに船といったかんじでした

 

もはや答えと言ってしまっても過言ではないことを教わってしまったので書いてしまいますが

 

 

この世とは無常の世界

あの世とは不滅の世界

 

クリシュナはアルジュナ

この世でいくら苦しんでも得をつんだとしても全ては仮の世界の出来事である

問題はその仮の世界で悪戦苦闘している中で不滅の世界であるあの世との縁が出来ること

それにいつか出会ってくれることを待っている

 

 

 

尊敬する親族を殺したくないというアルジュナ

『殺す』という結果ではなく

本来するべく戦うという行為にのみ意味があるというクリシュナ

 

 

 

ついつい自分の持っている常識を裁判官にして

自分の方が高いところに立ってこの本を判断しちゃっていたのです

 

でもそういう読み方はこのような霊的なことを扱うものを読むときの姿勢としては意味がないとシュタイナーは言います

 

 

 

オカルト的な読み方と聴き方から抜粋します

 

 

 

知的な教育を受けた現代人は書物の内容を評価する上で

自分以上に優れた判定者はいないと思っています

あらかじめそう思い込んでいるとしたらその人は書物の立場に従って新しい別の評価の仕方を学ぼうとするでしょうか

自分は優れていると思っている以上自分の立場を変える気なぞ初めからありません

ですから書物の新しい意図や方向が感じ取れません

 

真の霊学書を通して世界に対する別の感じ方

別の評価の仕方を持つ様になることが

霊学を学ぶための根幹神経になります

 



 

判断せずにただその書物との縁をつくること

それをしてはじめて

書いてある内容について

わかるわからないということが出てくる

 

そうシュタイナーは言います

 

 

確かにそうだなと思ったのです

 

ギーターを読むときの姿勢に謙虚さがなかったなと

そして最近の読書が楽しくなくなっている原因もここにあるのではと思いました

 

ずっとフィクションしか読んでこなかったのですが

最近はそうではないものばかり読んでいます

でも自分の判断基準でしか関わっていないので

本をよむことがおもしろいって思えなくなっていたのだと

 

 

 

 

ということで

姿勢をあたらめ

バガヴァット=ギーターとの縁をつくっていきたいと思います

 

 

 

ギーターを理解できるときがやってきた時

ギーターに出会う

 

 

 

ということのようです

 

 



 

今究極の利己主義が世界を変えるって考えています

でもどうしてもそれがうまく書けない

 

書いている途中から

自分がわからなくなってしまうのです

 

でも

わたしが思うそれは確実に万人にはあてはまらないこと

 

っていうかもしかしたら

わたし以外だれにもあてはまらないことかもしれない

 

でも

今のわたしはそうであると考えています

 

ずっと美徳とされていたように自己を滅して他人のために何かをしてもこの先には行けない


全ての答えは自分の中にあるから


だから徹底的に利己主義であることが必要に思うのです



自分が自分のためにすること

自分に正直になること

自分に光をあてること

深淵を目指すこと

それでしかこの壁は破れない



でももしかしたら壁を超えることが究極的に誰かのためになるかもしれない

わからない

何故なら結果ではなく行為だけが大事だから

 

 

いつか腑に落ちた時

このことはまた

 

 


 

深淵はこのテキストにも出てきています

 

なんとまあ!!!


 

 

『内面への旅』 のテキストは

読み返せばそこにいつも求めるものがあります

これを理解できる時が来た

だから高橋先生に会えたのだなと思います



 

ありのままに受け取ります




 

 

 

深淵

暖かい冬です

この穏やかさが怖くもあるのですが
これは多分大切な必要なことなのでしょう
 
 
そんな中で今最もアツい
 
 
「深淵」についてです
 
 
最近のテーマであります
 
 
 
だから昨日ひとさんからこの言葉がいきなり出てきたとき本当に驚きました
何故わかるのか
さすがや
 
 
 
なので一度考えてみたいとおもいます
 
 
 
言われたこととは
 
 
 
深淵を覗こうとする者は
深淵からも覗かれる
 
 
 
これは調べたところ
ニーチェの言葉で
 
 
 
 
『怪物と戦う者は、自分も怪物にならないよう注意せよ。
長く深い深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む。』
(「善悪の彼岸」ニーチェ箴言と間奏146」)
 
 
この前高橋先生と佐藤優さんは
最も深い深淵にこそ神は宿る
 
それは
人間の底辺のそのまた底辺
一番神から繋がらなそうなところに神は降りてくる
ということだと
 
地獄の底に導かれてゆく
そこからしか神秘の扉はひらかない
絶望からしかうまれない
 
 
と話しました
 
 
ひとさんは
深淵に魅入られるなといいます
 
 
 
王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた
 
そして
 
命は闇の中にまたたく光だ
 
 
 
 
てゆうか深淵とは何かなあ
 
 
 
深淵(しんえん)とは、深い淵や水の深く淀んだ場所を指す語。フレッド・ゲティングズ著『悪魔の辞典』によると、悪魔学においては「進化の終着点」を意味し、すなわち人間の行き着く最後の未来を意味する。これから連想が進み、ヨハネの黙示録アバドンといったイメージになった。カバラの学者は深淵をマサク・マヴディルと表現し、落伍者の行き着く場所と解釈している。wikiより
 
 
 
ひとさんは多分
死のその先みたいなイメージとしていっているのだろうなと思うのです
 
 
それに魅入られそれを求めることは
生きることを放棄することに繋がると
 
 
 
 
確かにそれもそうともおもうのです
 
 
 
 
なんとなくわたしはこう考えているようです
 
 
 
 
深淵とは
 
善悪も虚無も生死も幸福も愛も喜びも絶望も恐怖も
 
そういうものを全てごた混ぜにしたカオスの
 
その最も底のことなのではないかと
 
 
 
それはある意味では自我というものを持ってしまった人間の
意識の一番底のことなのでは
 
 
 
 
深淵を覗くことで向こうから覗き返してくるものとは
本来の自己
またの言い方だと第二の自己
なのではないでしょうか
 
魅入られるものも魅入るものも自分なのではないか
だから全ては自分の中にあるのではないのかなと
 
 
 
 
 
そこに差し込む光は神であり
 
神は命の煌めきであり
 
叡智の光だと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今なんとなくこの気候とリンクするかの如くわたしが穏やかなのです
 
 
 
それは善悪という二元の罠のことがわかったようなきがすることと
 
ありのままの自分自身を信じることが出来るようになったきがすること
 
それが大きいような気がします
 
 
 
どんなに流れがはやくなろうとも
それが滅びを伴う変容であろうとも
そのために全てを失うことが起ころうとも
 
それを受け入れること
その過程にこそ意味があるということ
 
 
そして
 
その道の途中ではあくまでも中庸を手放さないということを
 
全ては自分の中にあるということを
 
 
 
 
 
 
しかし何故わたしはこんな迷宮みたいなところに入り込んでしまったのだろうか
 
 
 
 
 
 

そして2016年がはじまった

よい天気です

穏やか

 

冬至が大晦日で立春が新年なので

今はその合間の空白期間ですが

でも年号が変わったので心機一転してみるもよいのではと思いまして

 

実際自分の中は随分変わっていて

ダウンロードが早くなってきているきがします

蝶になったから♪

 



そんな昨晩から今朝にかけての情報整理をしておきたいと思います

 

そうそう

昨日紅白歌合戦がテレビでやっていたのでちらっと見てみたら

今の傾向についてなるほどがでてきました

 

何故大人数のグループなのかって

 

力のある一人よりも

たくさんいた方がエネルギーがすごいから

そのほうがうごかせるから

 

 

まあこういうことが気になって仕方ないので仕方ないけど

 

これまではたくさん集まって同じことをさせるってことがずっと大事だったんだなーって思った

 


 

そして新しい朝の光の中にいるときに

 


 意図は変えられる

だから

いろんな儀式に意識して参加しなさい

なにごともそうしなさい

求められてる意図に敏感になりなさい

 

 

太陽

そういう光を

サードアイに当てなさい

それが近道

ただそれをしたらよい

どうなるかはなってからのお楽しみだ



そういうエネルギーを

ちょっとだけ動かして

どんなに小さな小石でも

流れを大きく変えることが出来るように


そうして世界の封印を解く手伝いをしなさい



封印を解きなさい

新しい世界は

そこからはじまる


遍く照らす



最後に

昨日龍神さまの前にいたときのメッセージを



善も悪もない
ただ行為があるのみ
そして全ては決まっている



阿修羅道が定めなら
進むしかない
でも進まないという方法もある
どちらをとるかは
自由意志


たとえそれが本来の定め
魂の天命であったなら



わたしは誰で何のためにここにいるのか

多分それは言葉にはならないことで



わたしという者は
天使でもあるし邪神でもある


でもそれは
わたしの判断するところではない
何故ならわたしは今本当の道を生きているから
ただそれをすることだから
善か悪かの判断は
わたしの範疇ではない


何故なら善も悪もひとつのものの二元が現れただけだから
世界がそれを悪としても
わたしの中からの行為は
それによってなんら変わりはない



それでも祈る
全ての生きとし生けるものが幸せであることを
願い事が叶うことを
傷を癒し護られていることを





2015年の最後に寄せて

早いものであと6時間で今年も終わりです

 

バガヴァットギーターはまだ読み途中だけど

どうしても気になってねじまき鳥に手を出しているけど

って

あー書いていて気づいてしまった今

今日ここに記したい内容と完全にリンクしていたんだ

 

 

早速

2015年の最後に寄せて

サナギから出てきた蝶のお話をしたいと思います

 

 

 

全てわたしのとても個人的感覚によるものです

 

 

 

この一連の流れの準備段階になるのでしょうか

19日にシュタイナークラスの高橋巖先生と元外務省主席分析官の佐藤優さんの対談をききにいきました

そのときに出てきた言葉で『最も深い深淵、そこに神が宿る』というものがありました

とても心に残る言葉でした

 

 

自分がおかしいって気づいたのは23日でした

重たくてズブズブ沈んていく感じ

でも苦しくない無感覚の中

何かがおかしいからはじまりました

なのでヴァイローチャナにききました

 

 

21日の日本時間22時から世界中で合わせてジョンレノンの『Happy Christmas』と『We are the World』を歌い

世界のために祈るというイベントに参加したことでした多分

 

始めた人がこれをとても純粋に始めたのはわかっているのですが

どこかでおかしな者が入ってきた

純粋な祈りはものすごいエネルギーで

それはどんなひとでもわかっていればそれを操ることができるということ

そしてそこからはどこにでも入ることが出来るということ

そしてわたしにも入ってきたということ

そのときわたしは大きな節目のお誕生日を迎えていてしかも冬至のエネルギーを満載にしていて

ヴァンパイヤはそれを貪った多分

 

 

それに気づいたのは23日

 

でもこれはこの時点での最終の変容を促すキッカケでした

すべて計画してあったであろう出来事だったのです

 

純粋なものであればあるほど

使いやすい

意図を変えてしまいやすい

それはとても簡単なことだ

 

祈りはエネルギーだ

ともに祈るということの計り知れないエネルギー

 

 

本来人が深淵に向かう旅は一人であるくもの

一人で歩く

一人で探す

神は寄り添ってはいるけれど

そこにたどり着くまでは孤独と向き合わねばならない

なぜなら

 

 

『神は深淵に差し込む光』だ

 

与えられるものではなく

 

自分が出会うものだから

 

ともに祈ることはとても大切なことなのだけれど

それでは自分でコントロールすることはできないのだと気づくための

この歌の出来事でした

 

それと同時に

今年出会ったナオミさんという素敵な山のガイドをされているかたのブログ

『封印』について書かれていました

 

 

いろんなことが繋がってもつれた糸がはらはら解けていきました

 

 

そこではたと出てきたことがあります

 

『愛』

 

みんなが愛だと言います

キリスト教に始まり

いろんなスピリチュアル的なところ

先輩

 

みんな

『愛』

だと

 

 

みんなが言うこと

 

 

 

ずっと実は違和感だった

『愛』ってなんだ

 

 

 

 

いろんなことが崩れていく

そして何かあたらしい

でもずっとここにいた何者かが出てくるこの感覚

あるものは壊れあるものは飛び出し

繋がる

 

 

2014年の冬至新月からはじまった変容のための最終の旅は

2015年のクリスマスの満月で新しい扉を開けました

 

 

新しい世界がはじまりました

 

 

陽の気が増え始める

冬至という陰の深淵で産まれた子は

増えていく陽気とともに育った

 

そのときと同じ様に

新しい世界を生きはじめました

 

 

 

もうひとつ今年のわたしがしていたことは

この土地との結びつきを作り深めることでした

深いグラウンディング

 

祖母が鬼籍に入ったこともそれを助ける要因でしたし

今年の前半にしていたアルバイトもそのためでした

 

 

 

この土地にいる神様や龍たちとのご縁

 

 

 

それも完成したようです

 

 

 

 

今日の大晦日の詣の最後に

わたしの産土神社にて偶然に(?)大祓が始まりました

祝詞を渡され

宮司さんと参加した方々とともに読み始めてはたと気づきました

 

 

 

これは土地の神様の封印の呪文だと

 

 

わたしは祝詞を封じ

どこかに行こうとするおおきなエネルギーをこの大地とこの神様に戻し

そして大祓の人形にわたし自身をのせて

海に続く川に流すことで

土地の神様に奉納してきました

 

 

 

封印を解いていきます多分

 

 

 

そう村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』も封印をとく物語です

 

 

 

 

 

これから立春まで調整が続きます

 

 

 

 

そんなことを思っているときにいつも読んでいるブログ

こんな記事に会いました

 

自分の天命を見つけたことを示す10の兆候

 

 

 

もうひとつ

 

あなたは「だれ」ですか?

あなたは「なにをしに」ここにいるのですが?

そして

あなたはほんとうは「だれなのですか」?

 

 

それを探すために

 

 

 

 

最も深い深淵へ

 

 

 

 

でもそれは決して孤独ではないのです

もうわたしは自分と自分の運命を完全に信頼することができたから

一人ではないから

 

 

 

 

 

新しい世界

 

新しい年

 

生まれたての蝶はこれから何をみつけるのでしょうか

 

 

バガヴァット・ギーター その2

ちょっと前に書いたブログをちらっと読み返して気づいたこと

 

 

後でまとめて書こうって思ったことの多いこと多いこと

そしてそれ

 

書いてないし

 

 

まあいいか

諸行無常だねとよくわからないことを思ってみたのですが

 

続きをいきます

 

 

 

バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

 

 

第2章です

 

 

「わたしは戦わない」といって座り込んだアルジュナにたいして

クリシュナは言います

 

この世界を遍く満たすものを不滅であると知れ。この不滅であるものを滅ぼすことは誰にもできない

 

彼は殺さず、殺されもしない。

彼は決して生まれず、死ぬこともなく、また存在しなくなることもない。不生、常住、永遠であり、太古より存ずる。身体が殺されても、彼は殺されることがない。

 

主体は古い身体を捨て、他の新しい身体に行く。

 

あらゆる者の身体にあるこの主体(個我)は、常に殺されることがない。それ故あなたは万物について悩むべからず。

 

 

み>

うむ。。。。

般若心経的なことを話していて

それはそうだと思うんだけど

だからといって殺していいことにはならないような気がするんだよなあ

 

 

続けて

 

クシャトリヤ(王族、士族)にとって、義務に勝る戦いに勝るのもは他にはないから。

もしあなたがこの義務に基づく戦いを行わなければ、自己の義務と名誉とを捨て、罪悪を感じるだろう。

人はあなたの不名誉を永遠に語るだろう。

 

苦楽、得失、勝敗を平等(同一)のものとみて、戦いに専心せよ。そうすれば罪悪を得ることはない。

 

ここまでで理論(サーンキヤ)における知性を話した

とあるけど。。。

 

み>

いやそれでも殺すよりもいいんじゃあないかなあ

 

という疑問はまだまだ深まるばかり

だってこの理論ってどこかイスラム原理主義者が言ってるらしいことを思い出しちゃうしなあ

 

 

再び続けてクリシュナは

 

あなたの職務は行為そのものにある。

決してその結果にはない。

行為の結果を動機としてはいけない。

また無為に執着してもいけない。

知性をそなえた人は、この世で善行と悪行をともに捨てる。

行為から生ずる結果を捨て、生の束縛から解脱し、患いのない境地に達する。

 

 

アルジュナは質問します

叡智が確立した人はどのように語り、どのように坐し、どのように歩むのか

 

意にあるすべての欲望を捨て、自ら自己(アートマン)においてのみ満足するとき

その人は智慧が確立したと言われる。

ここにおいての欲望とは

不幸を悩まず幸福を切望せずすべてのものに愛着なく種々の善悪も捨て喜びも憎みもしないひと

だといいます

これがブラフマンの境地である

と。

 

 

 

先日新しくできたずっと知っていたような感覚の友人の家に遊びに行ったときに

おすすめいただいてサティシュ・クマールの

『今、ここにある未来』というDVD付きの本をお借りしました

 

とてもよい啓示にみちた本でした

 

 

サティシュ・クマールの今、ここにある未来with辻信一 [DVD]

サティシュ・クマールの今、ここにある未来with辻信一 [DVD]

 

 

 

 

なにげなくみていたら

ここでもバガヴァット・ギーターについて語られていました

 

 

 

彼はギーターについて

「行為の結果ではなく、行為そのものに目を向けよ」というところと

上に書いたアルジュナの質問について話されていました

『もし私たちがいかに食べ、座り、眠り、歩くかを知ってさえいれば

現代世界の諸問題は解決済みだと考えている』

とサティシュは言っています

 

 

 

今やすべては必然のもとにおこります

 

 

この意味を

なぜ今なのかの意味を

ある日突然理解するでしょう

 

 

読書は続く♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バガヴァット・ギーター その1

うっひょう!!!

っと驚く早さで師走が駆けてきました
あまり寒くなくて嬉しいのですが
季節は季節として季節らしくあっていただかないとなのですが
寒いのは苦手であります
 
しかし一年は早い!
今年はとくにとくに早い!
這うような唇噛み締め堪えるような想いは多分もう終わっていると思うのだけど
このもぞもぞした時間は必要だから起きているとわかっているから
だから感謝して受け入れますね
 
 
崩れそうに高くなってきた積読を読み進めたいと思うのですが
これまたむつかしいし考えないといけない本ばかりを積んでいるため
なかなかなかなか進みません
 
 
 
なのでここでライブで進めた分をまとめながら読んでみたいと思っています
 
 
 
まずは
バガヴァット・ギーター「神の歌」
ヒンドゥー教の聖典であり
宗派や国境をこえて読み続けられているインド古典です
シュタイナー思想の根源にもなっているというこの本は高橋巖先生が吉祥寺のクラスで講義をされているという
シュタイナー思想を理解するためにも大変重要なものです
 
 
 
この物語は
アルジュナという王家の戦士に
クリシュナという御者に身をやつした絶対神(聖バガヴァット)が
人は社会人たることを放棄することなく現世の義務を果たしつつも窮極の境地に達することが可能であると説きます
 
 
何故これをここで中継しながら読むことにしたかというと
 
 
同族同士の戦争の戦線を前に
 
 
同族を皆殺しにしてまで生きたいとは思わない
わたしは戦わないでここに座り同族に殺されるに任せる
 
 
といいます
 
 
わたしも相手や理由が何であれ武器を持ち戦い殺すよりも座り戦わないことを望み
たとえそれが境地であるとも命よりも前に来ることはないと思っているので
 
何故クリシュナはアルジュナに戦うことを勧めたのか
それが何故境地に達することが可能なのかが知りたいと思うのです
 
 
何故たくさんの思想家達がこの聖典を素晴らしいというのか
 
 
今のこのテロリズムから世界が震える中
ここに何かを見出すことが出来るのか
 
 
そんなことを学びたいと思うのです
 
 
 
アルジュナの疑問は
わたしの疑問と同じで
読み進めていくにつれ
この疑問がどのようにして解決してゆくのでしょう
 
 
 
 
 
 
 
 
今のわたしのテーマのひとつである
 
 
 
全ての衝動を抑えて自分とともにあること
望まず排せず厭わず好まず
ただ自分自身と在ること
 
ということは
 
 
クリシュナの言うところの
 
 
 
意にあるすべての欲望を捨て、自ら自己(アートマン)においてのみ満足する時、その人は智慧が確立したと言われる。
 
全ての感官を制御して、専心し、私に専心して坐すべきである。
感官を制御した人の智慧は確立するから。
 
〜40〜41ページより引用〜
 
 
ということとイコールであると
おもうのです。
 
 
 
 
もう一つのテーマである
言葉
については
また追って
 
 
 
 
 

宇宙の意図

13日の金曜日はシュタイナークラスの日でした。


何故わたしがこの時にこの場所にこの学びを受けに来たのかがぽんと入ってきたので
これまでと今日の講義の内容をまとめて記録したいと思います




「これを学ぶことを求めたのよ
全ての存在のためにこのことをインプットしてアウトプットすることを求めたのよ」


この講義の間は不思議なくらいこのようなインスピレーションが降りてきます



今は「内面への旅」というシュタイナーコレクションの2巻目がテキストです



2014年の4月から始まったこのクラスもテキストの最後の6章まできました。

シュタイナーがこの講義を行ったのは
1911年12月27日から1912年1月1日まででした
第一次世界大戦の始まるほんの少し前です
翻訳者である高橋巖先生は
この講義が行われた時期と今のこの世界がとてもよく似ているという危惧感から
今回このテキストを選ばれたそうです



このテキストではまず
「日々の仕事に追われている私たちの生活目標と人類の至高の課題との間に橋を架けることを目指しています」
ではじまります


つまり物質世界から霊の世界へと橋を架ける作業が必要だということです


そもそも地球上の存在で人間だけが独立した魂を与えられています
ほかの動植物は地球の魂と一体化している
つまり集合魂の存在だそうです



では何故人間は地球に信頼されて独立した魂を与えられたのか



それは地球で存在する意味を学び感じ体験し考え想いを抱くことで地球にエネルギーを送り
全ての進化に貢献するためです
地球そのものだけでは進化を体験することができないのですが
地球から人間の魂が独立することで地球生命体と命を共有し尊重し合うことができる
そしてエネルギーを受けてさらなる進化をすることができるようになります



しかし人間はそのための魂を使い切ってしまった


人間はもう地球を仲間だと思わなくなり
地球や自分以外の存在はただの道具だとしか思えなくなってしまいました



この様な状態を物質世界(唯物論的世界)
そして本来の姿を霊の世界と呼び
そこに橋を架けることで
再び地球で存在する意味を感じることができるようにするために
シュタイナーは人智学をつくりました


では実際に橋を架けるためにはどうしたらよいのでしょうか



シュタイナーはそれを
驚き
畏敬の念を持つ
宇宙叡智との一致
帰依

という4つのプロセスが必要だと
そしてこのプロセスを常に思考から離れずに行なわねばならないと言います



例えとして一本の紅葉したモミジの木を想像してください

そのモミジの美しさにびっくりし
美しいモミジにすごいと畏敬の念を持ち
モミジという存在を通して世界の美しさと自分との一致を感じ
そして抵抗を手放し全てを受け入れる

そんな流れのことです
とてもざっくりですが
このような体験は誰にでもあるものだと思います
浄福感みたいなものと言えばいいのでしょうか




光や音や空気をはじめとして
環境の中にあるものは全て
絶えず人間存在に働きかけています
その全てに感謝できる魂の有り様を持ってほしい
それを能動的に行ってほしい

それが物質世界を霊的なものとして見ることに繋がります




つまり橋を架けること




人間はそもそも地球上に存在しているだけで

生きて動いているだけで

地球に貢献しています

人種や宗教や国籍や生き方や性別や個性は問われません

これからはその貢献を能動的に行おうと意識することで

壁を超えて独立した魂を輝かせていたいと思い行動することで

途切れそうな橋を架けなおすことが出来るのではないかと思います


このことを学ぶためにわたしはこのシュタイナーのクラスに高橋巖先生に会いに来たというのが宇宙の意図だと

それがはっきりわかりました


これからさらに学びそしてそれをアウトプットすることに繋げたいと思います





無意味な暴力に遭われている世界中の全ての方々のために祈ります


どうかその美しい魂から憎しみを手放すことが出来ますように



あなたが生きている意味を見出せますように