望みが 起こる タイミング

少し前に釜山に行ったとき

コーン茶ってマジうまいっておもいまして

お土産にしたのですが

マジうまい

 

コーン茶をのむ人間と

コーンを食べるモモンガが

毎日ベッドの陣取り合戦です

 

通常のベッド陣取りの場合は幅の問題ですが

シーツとモーフの間とモーフとフトンの間という

奥行きの上での争いであります

 

ある意味ファンタジー!

 

小さいけれど確かな幸せですねこれも

 

 

 

今日考えて望んでいたことが

不思議にかなうという瞬間がやってきました

 

しかも想像すらしていなかった

スムーズな状況で

 

 

 

望みは

たくさんあり

でもそれが

叶う必要があること

そうなるって

決まっていることは

 

ちゃんとそういうことが起こる

 

 

 

あまりの渡りに船だったから

心に確認しちゃったもん

 

 

行け!

やれ!

 

って言ってた 笑

 

 

うちの心ってせっかちで迷わない

 

 

 

 

叶うことは叶いますね

 

 

 

それが流れとして必要ならば

 

 

 

それを実行に移すタイミングが来る

 

 

 

耳をすませていないとわからないこともあるし

 

 

 

瞬間それとわかることもある

 

 

 

なんにしても

だいたい大丈夫ってこと

 

望みは叶う必要がきたら叶う

 

神様っているんだなー

そういう気持ちになる瞬間でした

 

 

しかし

コーン茶はうまし

 

 

 

 

エーテル体について

今日は2週間に一度の魂のご褒美のシュタイナーの講義@朝日カルチャーセンターでした

 

 

今は『神智学を読む』という授業です

テキストは

 

神智学 (ちくま学芸文庫)

神智学 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

このクラスはもうずいぶん長いこと続いていて

参加者さんも20年越えの方がたくさんいらしゃるという

歴史ある学びの場です

講義のあと先輩たちとのみに行き

今日の講義のわからなかったところや内容について話すことも大変楽しいところです

 

 

 

 

今日はエーテル体についての講義でした

 

 

 

エーテル体という言葉にはいろんな使われ方があるということで

19世紀の量子力学がではじめた物理学でも

もてはやされた言葉でもある(先輩吉田さん談)

ということなのですが

 

 

 

シュタイナーの哲学がオカルトとされる大きな要因が

この『エーテル体』『アストラル体』という目に見えないものを扱うところと『輪廻転生』思想

これが現代の学問のどこにも当てはまらないということが

『オカルト』(隠されたもの)というくくりなわけだそうです

 

ふむ

 

 

エーテル体とはを

まだわからないのですが

今日学んだことを全部書いてみます

感覚があるうちに復習しないとわからなくなってしまうから

 

 

そしてそれによってここからなにかが見えるのではないかという期待をもって羅列します

感覚として掴めたらいいな

 

 

 

エーテルエーテル感覚エーテル力とは

 

 

 

*生命力であり生命体験

*縁が生じること

*生きようとする生きている存在しようとする力

*存在しようとして存在している自分を感じ取れること

*エーテルの世界は物質の世界という土台の上に別にあると考えること

*芸術感覚はエーテル感覚

*存在しているものをみようとする目、感じようとする目の感覚

*相手を感じられなくてさみしいと思う感覚

*通じ合いであり相手の中に入っていけるもの

*融合する感覚

*共感力

*小説をあたかも自分が登場人物のように感じながら読むこと

*日常感覚とは違う芸術的な集中力

*自分の内側と外側に橋をかけること
*感覚的知覚

*記憶のベースになっているもの

*熱

*キリスト

*言葉にならないもの

*肉体という物質をこの世にとどめている元になってるもの

*『霊的である』という概念の最初にあるもの
*相手の中にかけがえのなさを感じること

*だれのなかにもあるけれど意識して磨こうと思うことで研ぎ澄まされていくもの

 

 

 

 

ふむ

 

 

 

 

相手が話すことを自分が話すように聞く

自分が話すことを相手が話すように話す

 

これが自分の心の中の『内』と外の世界に橋をかけること

 

 

 

そしてゲーテの言葉を

 

 

相手のネガティブなものもポジティブに取れることを

愛しているという

 

 

 

今日の宿題は

 

 

 

自分のエーテル体を意識してみる毎日を

 

 

 

 

 

 

 

 

文章は

感情が入っているかどうかだけが

大切なことなのだと

先生がおっしゃいました

 

 

 

ここはわたしが

自分と自分に橋をかけている場所であり

客体化した自分と思いを共有している

 

 

つまりエーテルにつつまれているところ

 

 

魔法の絨毯にのるということは

今とても大切なことだとおもっています

 

 

 

 

 

身体の感覚、心と話す

最近早寝早起きになりつつあります

おかげで睡眠時間が長い

 

 

 

あ!!!!

春眠だからか!!!

 

 

 

書いて気づいた!!笑

 

 

 

おかげでよく眠れます

早く寝すぎて暗いうちにおきます

 

これを書いてる今もう眠いです

 

 

 

その眠いというものもそうですが

身体の感覚をどこまで認識して暮らしているでしょうか

 

 

最近世間の流れにイマイチついていけていない気がして

そんなときは自分のナカミだ!ということで

なるべく身体と向き合うことをしています

 

 

たとえばお茶を飲んだとき

あたたかい感触が口から食道を伝い

胃に入りじわーーーっとあたたかくなる感覚

 

身体のどこかがつっぱって痛いなと思う感覚

 

それを調整するために

身体を動かすと伸びたり縮んだりしてバランスが取れる感覚

 

ヨガの太陽礼拝をじっくりゆっくりすることで

身体が世界に馴染んでいく感覚

 

 

 

書いているとフツーのことですが

実際にフォーカスアップすると

物質としての身体が

どれだけ優れたものなのか

そしていろんなことが協力しあって今このときを過ごしているのか

みたいなことが

なんだか愛おしくなります

 

 

 

 

これもまた小さいけれど確かな幸せですね

 

でもとても大切なこと

 

 

 

 

 

 

そして

心と話す

ということをしています

 

心と話すというのは

カウンセラーの大嶋信頼さんというかたのブログで読ませていただいて

ふむふむと実行していることなのですが

なかなか大変優れものです

 

回り道もいいかも! | 変われない人たち

 

この方のブログは常に優しいので大好きです

 

 

 

 

タイミングを見計らって

心はすごいことをたくさん教えてくれます

 

 

心と話すというのは

アルケミストでサンチャゴもしていたことです

 

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

 

 

 

 

『心よ』

とはなしかけると

『あいよッ!』って答えます

ウチの心

 

 

ある日ふと気づいて

心はインナーセルフかときいてみたところ

 

瞬時にそうだと心が答えました

 

 

心を話すということは

インナーセルフと繋がるということでもあるみたいです

 

 

 

スピ系で言うでしょうそういうこと

 

はて?って思っていたけどとても簡単なことでした

 

 

 

そして心(=インナーセルフ)はいつも一番近くに居ると言ってくれています

それがどれだけ自分を支える手立てになるか

孤独を感じずにすむか

 

 

 

もし困っていたらやってみてください

 

 

 

あなたの1日が終わるとき

暖かくて幸せでありますように

 

あなたの明日が

穏やかで充実していますように

 

 

 

 

 

よい夢を

 

 

 

 

 

 

 

 

邪の道から

春うららのおだやかな1日でした

陽の光があたたかいというのは

なんとも素敵なことですね♪

 

 

ホーリーバジルとレモンバジルの種を自家採種した分をきれいにして

ホワイトセージの種も冷蔵庫に入れてスタンバイしているし

セージも接ぎ木しているし

花壇の材料もそろっているし

物置温室化の手配も済み

来週の新月種まきの準備も順調にあらから終わりまして

今年はさらに魔法ハーブの庭の充実をはかるのです!!!

 

 

一年中で最大のイベントといっても過言ではなくなっている種まき♪

 

しかも今回はおひつじ座の新月ですからね!

 

気合いが入ります!!!

 

 

ウチの仲間たちは

それらのハーブはじめ植物たち

モモンガ

そして金魚が2匹

名前は『月』と『いちご』

あだ名は『満月』と『あまおう』

。。。。

はい

ふっくらしているのですね 笑

 

 

先日引越しのタイミングで

テネモス研究所のマナウォーターをとりつけまして

毎日美味しいお水が水道の蛇口をひねると勢い良く出てくるという

それは大変幸せな毎日です

 

 

水道水が湧き水のようになる

ということなので

金魚たちの水にもマナウォーターを置き水して使っていました

 

でも先日水換えをするのに

ちょっと時間がなかったから汲みたての水を使ってしまったのです

新しいバケツの水の中に2匹を入れてちょっと目を離したら

なんとかわいい月ちゃんがよじれて動かなくなっていました

 

 

ものすごいびっくりしつつも

カルキ抜きの薬品を投入して

でもダメで

以前どこかで見た

古い水を入れると生き返るっていうのを勢い良く思い出し

金魚鉢の底にのこった濁った水を数滴そして入れていた水草を投げ込んだら

無事に月ちゃんが復活しました!!!!

 

 

その展開の速さと綺麗な水がもたらした惨事に驚きつつ

びっくりすると不思議な冷静さを発揮するので

その後フツーに金魚鉢を洗って2匹を戻して

今は元気にひらひらしています

 

 

 

 

仏教で蓮の花を神聖なものとしているのは

泥(煩悩)の中から美しい蓮の花(悟り)が花開くという意味があるからだったとおもうのだけれど

 

 

 

風の谷のナウシカの原作漫画では

最後7巻で

汚染された土地が腐海によって清浄になったあと

そこでは汚染されたこの人間は生きる事ができないので

清浄な土地で生きるためのおとなしい人間のたまごが用意されていました

それをナウシカがオーマとともに破壊するのだけれど

 

 

この

聖、善、正

みたいなものと

悪、邪、汚

みたいなものが

すべてそのままどっちが良くってどっちが悪いという

二元論では

はかれないことなのだと

 

なぜなら生きるということは

聖も邪も併せ持っているものだから

 

 

自分は悪だなと思うのです

その悪っぷりに自分で驚いたりします

なぜこうなるのかこんなことができるのか

その悪を平静と行動にだしてること

 

 

でも人間には驚くほどの叡智や尊さがつまっている

 

 

 

この深い泥の中に全て知っていて全て持っているその叡智を

いつか咲かせることができるのだろうか

 

 

咲かせたいと思ういつか

 

 

書いていてわかってきたなあとおもうことがあります

 

最近自分の本当に望むことがわからないっておもっていたのだけれど

 

 

わたしはこの悪の中から叡智の花を咲かせたい

 

 

なんとなくそんなようなことを望んでいるみたい

 

 

邪にも大切な役割があること

悪にまみれたこの世界から

この続きを考えてみたいとおもいます

 

 

 

 

追記

 

ここ2日眠るのが早すぎて

明け方ぱっちり目覚めると

空には細くなった月

 

そして遊ぼうと駆け寄ってくるモモンガ 笑

 

 

明け方の静かな月は

それは美しいものですね

 

 

それを見てモモンガをなでてまたふんわり少し眠るのは

悪ながらも小さいけれど確かな幸せです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと思ったことがだいたい全てかもね

好きなのみものは

シャンパン、ビール、レモンサワーです

このシュワっと三大巨塔に

最近サングリアが加わりました

甘夏とスパイスでサングリア用のシロップをつくって

そこに赤ワインをざくざくいれてのみます

最後にグラスの底に残った赤く染まったみかんの果肉がまたうまし!!!

 

 

 

 

平和ですねこの感じ

 

こういうちいさいけれど確かな幸せ

春樹的にいうと『小確幸

 

こういうの全てかもですね

 

 

 

 

 

 

仕事帰りのバスの中でふと思ったことがありました

 

*

わたしが生きてることに関して

他人からの評価や感想が欲しいんじゃあないなあ

 

自分が何をしたかを

わたしが納得できるかどうか

だけだな

*

 

ずっと

(人からの)評価がいい=(わたしの)収入がいい=(わたしの)存在価値がある

 

みたいに思うところにいて

人からの評価が自分のアイデンティティの基礎みたいになっていて

誰かがいいっていってくれるからこれはいいもの

自己満足は所詮アマチュア

食べていかれないものづくりはくだらないもの

評価されてるものをつくれているから価値のあるわたし

 

 

っていう

思い込み!のもと元気に暮らしてきてまして

 

 

でもしかし

そういう世界からドロップアウトして

今それを思い出すと

 

 

がんばったしよくやったわたしって思うんです

(自己満足?笑)

やってよかったしやめれてよかった

 

 

 

なぜそうおもえたかというと

 

その中で毎回

売れるか売れないかを考えない(考えられない)一瞬っていうのがあって

心底ものづくりに没頭して自分をしぼりあげて製作して

あとから上がってきた商品をみて

「はて?なぜわたしはこんなかわいいものをつくることが出来たのだろう!!!自分がつくったとは思えないぞ!!」

って思う瞬間があって

 

 

誰かが褒めてくれたから

とか

誰かが要らないこれは

とか

言ったからではなかった

そういうおもいを確かに積み上げてきたから続けてこれたのだと

 

 

  

でもね

やっている最中はその『やったーっ!!!』ていう思いに重心をおくことができなかった

人からの評価に目がいき

ずっと不安で恐怖の中にいたのです

追いかけられるように

休んではいけない

考えてはいけない

負けてはいけない

 

 

追い込んでいたのは自分ですね

 

 

 

 

今だからやっと

やってよかったしやめられてよかったって思うのです

 

 

 

これからは

その時その時で

『自分』が納得できるかどうか

っていう基準で見ることができると

それに基づいて次を考えていけると

生きることって随分たのしくなるんじゃあないかな

っておもいました

 

 

 

最後に後悔したくないから

ではない

 

 

今を全力で生きてる

 

 

でもついふわふわしてしまう

自分の中からすっと抜け出てしまうような感覚で

いろんなことを他人事みたいに感じることがある

 

 

 

大切なのは

自分の芯にいて

ここと自分とあちらとを

しっかり繋いでいる感覚ですね

 

 

 

 

そして最後にでてきたこと

 

 

人からの評価をあてにすることって

もしかしたら

人を大切にできていないことなのかもしれないね

 

だって

いい評価してくれる人は大切で

そうじゃない人はそうじゃあなくなるから

ただの都合のいい道具としてみているのでは?

*

 

 

 

自分に納得ができてはじめて

この人好き嫌いていう主観ではなくて

全ての人をフラットに大切に尊敬できるようになるのかもしれませんね

 

 

 

 

だいたい全てですね

 うん

 

 

 

 

 

今年の春分点は夕方の7時半くらいみたいです

 

明日の夕日とあさっての朝日をみにいこう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親愛なる、Oさんへ

春分を前にとてもあたたかい日差しがやってきました

そして春分はお彼岸です

此岸にいきるものが

彼岸の世界に近づくとき

 

 

どうしても伝えたいけれど

どうやって伝わるのかわからないこのメッセージを

方舟にのせてながします

 

 

どうかいつかそこに届きますように

 

 

そして返事をまっています

絨毯を派遣します

 

 

 

 

 

*******************************************

 

親愛なる、Oさんへ

 

年末にお会いして以来ですから

少々お久しぶりです

どうされていますか

彼岸に入りましてもう随分春です

ランチの約束をしていた季節はもうそこまでやってきています

 

 

わたしは変わらずのような変わったような

でも毎日を興味ふかく暮らしています

 

 

シュタイナーのクラスでは『神智学』と『ミカエルと龍』の並行した講義がおもしろい感じで進んでいます

高橋先生は相変わらず素晴らしいです

そしてなんだか不思議なことに

何を書いてあるのかが結構わかるのです!!!

 

ちょうど3年前

ちんぷんかんぷん

でもわくわくで

あのクラスに足を踏み入れたときが懐かしいです

 

 

そして哲学サロンに足を踏み入れて2年

 

これまたさーーーーっぱり何がなんだかわからないところから

今ほのかな明るさを見出したように

自分ではおもっています

 

 

それもこれもOさんあってのこと

 

 

帰りの電車の18分でそれこそ怒涛の質問コーナーでしたね

Oさんは知りたい事を全て知ってるまさかの人物!笑

引き寄せのことやキューブラーロスさんのこと

ラムダスさんのことドラッカーのことシュタイナーはもちろん

これからやりたいこと

思いついたこと

ビジネスのことや生き方のこと

 

 

 

でも今ほど話したいときはありません

 

 

なぜならばどうしても聞きたい事があるからです!!

すごい不躾な質問いきます

こんなことOさんにしか聞けませんよ

 

 

ずっと送ってくれていた『死のレッスン』で

 

キューブラーロスさんやエベンさんやラムダスさんのことをああして読み解いてくれていたでしょう

知識としてOさんほどお持ちの人はなかなかいないとおもうのです

 

 

 

 

そしてそのとき

 

何をおもいましたか?

何をみましたか?

何を聞きましたか?

どういうものでしたか?

どんな感触でしたか?

本当に時空を超えましたか?

 

 

そして今どこにいますか?

 

 

どうしても話したいです

おしえてほしいです

 

わたしはそれを知ることが必要です

 

『死』を超えることで

全てがかわるでしょう

人は持って生まれた全ての可能性を取り戻して生きることができるようになります

わたしはどうしてもそれをやりたい

 

そういつか話したでしょう

 

 

どんなかたちでもタイミングでもいいです

 

 

わたしがそれとわかるように教えてください

 

 

教えてもらったこと

必ずいかします

 

 

Oさんが

やるはずだったこと

できなかったこと

考えていたたくさんのこと

 

その欠片の種はわたしの中にいきています

確実にしっかりと

 

 

やろうとしていたかたちとは違うけれど

でも出来る限りのことをします

なぜならそれがわたしの魂の望みだから

カラから出た雛鳥がどんな鳥になるのか

みていてください

 

 

会えた不思議を

なんの知識もなかったわたしに

こうしてたくさんのきっかけを与えてくれたことを

いくつもの偶然が重なり合って

いまここで

お手紙をかいていることを

 

 

本音をいえば

福音だっていっても

やはりさみしい

どれだけ教えてもらった知識を動員してもさみしい

 

 

たくさんの失礼をどうかお許しください

 

 

またいつかお会いしますね

そのとき限りない時間を話したいです

 

それまで

 

 

 

20170318

 

 

 

 

月と太陽

春がもうすぐそこの今日この頃

 

春分がもうすこしでやってきます

そしてそのあとの新月

恒例になってきました今年の魔法ハーブの庭の種まきです!!

今年は種の仕入れ先をかえてみたので

どんな具合になるかとてもたのしみです

今年こそニガヨモギを生やしたいのと

ホワイトセージのしげみをつくりたいと思っています

 

 

そして

種からそだてあげ

こつこつ地植えしてきた苗たちが

冬を乗り越え

しっかり大地に根を張り

新芽をだしてきている姿をみるのは

静かに嬉しいことですね

 

ゆっくりじっくり魔法の庭を育てる

こうして焦らないで時間をかけることっていいなあって思う毎日です

 

 

 

 

そんななか

わたしにとって大変衝撃なことがあったのです

 

 

わたしね

ずっと自分が『月』だって思っていきてきたのですよ

それと『水』

状況によってかたちをかえ

なにかをうつし

だれかを癒すもの

 

夜の澄んだみずうみに月がうつる

 

みたいなイメージをもちながらいきてきたのです

結構幼い頃から

 

 

しかーーーーーし!

今毎月開催している魔女会第2回において

 

 

 

まさかの

 

 

 

あなた『太陽』だよ

という指摘をいただきまして

 

唖然呆然

 

 

 

会うのは2回目なのに

ずっと知ってるみーちゃんが

 

 

太陽だよ?自家発電タイプだよ?

そのキラキラした溢れるエネルギーでまわりのひとが(勝手に)癒されるんだよ?

 

って

 

 

感情をストレートにおもてにださないままでよく素直にいきてこれたねっていってくれました

感情を感じたままにだしていいんだよって

本当ははげしい人だよ?って

今までずっと感情をだしたら嫌われていじめられるって思い込んでいたみたいで

出てきた感情を観察して薄めてそとに出していたみたいで

 

 

でもね

ほっとしたのです

なんだか

『自家発電』に

 

 

しかも太陽って事は

核融合ではないですか!!!!!

 

融合を学ぶためにここにきたって言われた事があったけど

 

自分のなかですでに融合起してるんじゃん!笑

 

 

 

 

 

 

少し前に心が言いました

 

でてくるそのきらきらを外にむけて放射するのではなくて

内にむけていなさい

そのほうがうまくいくからって

 

 

今このときに辿り着いている感覚は

 

 

自家発電で出てきたキラキラしたフリーエネルギーは

だれかや何かに向けてだすものではなくて

自分のなかで勝手に内側で感じていたらよいと

 

 

だって太陽はだれに見せようとするわけでなく主張するわけでもなく内側で融合をおこしてそこから漏れ出している光で

いつもキラキラ輝いていて

 

ここにいる生きとし生けるものたちは

そのキラキラを(勝手に)あびていきている幸せにいる

 

 

 

外がどうあろうと

カラー革命だろうとカオスだろうと断末魔の叫びだろうとモラハラの嵐だろうと

 

 

 

内面をキラキラしているのです勝手に

 

 

 

っておもったら

世界がちがってみえてきました

そのみえるものを

夢ではなく現実にするために

魔法の絨毯にのるのです

 

 

 

 

さっきふと気になってシュタイナーの「いかにして超感覚世界の認識を獲得するか」を

ぱっとひらく読書をしたのですが

 

そこに書いてありました

 

『怒ったり、不機嫌になったりするときの私は魂の周囲に壁を巡らし、霊眼を育てる力が私の中に入ってこられないようにしている』

(p114)

 

 

 

怒ったり不機嫌になるときって

本来の自分の姿をみうしなっているときに

とてもよく起ることだとおもうのです

 

 

 

 

 

本来の自分を生きられていないときには

魂の周囲に壁を巡らせてる

 

 

といえるのではないでしょうか

 

 

本来の自分のみつけかたが

あるのです

少し前にみつけました

自分をみつけたときそれはそれは嬉しくて幸せでした

 

 

そして今回の太陽だっていう発見

 

 

いまは表にはみえないかもしれない

けれどとても大きな変化

 

 

夢を現実に

調和のなかで